王様の生活がなぜ優雅に描かれているのか。

方向性と具体性があれば、それを作ることができます。

出来上がっているものを探すのではなく、自分で作っていけるのです。

例えば、軽く楽しく生きるという方向性が決まれば、「軽く楽しく生きる生活・日常とはどういう生活なんだ?」ということを考えていき、そこで浮かんだ閃きやアイデアを実行していけばいいということになります。

 

「軽く楽しく生きたい!」と思っているだけでは、それを現実にすることはできないということです。

待っていても誰も持ってきてくれませんし、仮に誰かに持ってきてもらったとしても、それがアナタの「軽く楽しく生きること」ではないかもしれません。

王様のような生活というのは、そういうことです。

 

自分で作ることができません。

出来上がったものを楽しむことは、心からの楽しさを感じられないのです。

だから、そう言った生活に憧れを抱くようなイメージを植え付けています。

 

全てが揃っている世界が、満たされた世界ではあるのですが、すべてを誰かに満たしてもらうというのは、満たされているのではありません。

そこには不安と恐怖しかないのです。

 

表面的には、「満たされている」と感じていても、不安になります。

それが、脅しになるのです。

 

すべてを誰かの提供したもので生きていくと、それを失うことへの恐怖を感じることになります。

そして、それを脅しのネタとして使えるのです。

だから、提供されることが「いや」だとしても、それを受け入れるしか方法がありません。

上下関係であり、利害関係です。

受け入れるしかないから、自由がなくなっていきます。

 

これは、満たされている状態ではないのです。

自分でなんでも必要なものを手に入れられるから、満たされていると感じられるのです。

自分で自由に作ることができるから、脅すことはできません。

 

ピラミッド社会は、ほとんどが「脅し」で成り立っています。

大きなことで言えば、国同士もそれで関係が成り立っていますし、それによって椅子の奪い合いをしているだけです。

小さいところでいえば、「お片付けしないとお菓子をあげない」というのも、立派な脅しのエネルギーです。

 

このコミュニケーションが続いていく間は、重い世界から抜け出すことはできません。

小さなところのエネルギーが変わらないのに、大きなことを変えることはできないからです。

 

今まで教えてもらったこと、何気ないコミュニケーションは、ほとんどが「重くなる」ための方向性と具体性です。

だから、「なんでこんな現実になるんだ・・・」という現実を創造します。

 

脅しだとも思っていないところに脅しがあるんです。

それがわかるようになるには、言葉の意味ではなく、コミュニケーションの波動エネルギーがわからないと気がつけません。

当たり前にしていることの中に入り込んでいるからです。

 

気がつかないところに入り込んでいるから、わからないレベルで刷り込まれているから、重い社会に同意していることになります。

小さな言葉、小さな思考、日常の何気ない出来事。

それら全てが、自分の同意の元、出来上がっているということです。

 

だから、軽い世界の方向性は、軽くならないとわからないのです。

自分が軽い波動に共振した時に感じること、出てくる言葉、コミュニケーション。

それらを意識するからこそ、具体的に行動を変えていくことができます。

 

行動だけを変えようと思っても無理なのです。

波動が軽くなって、出てくる思考が軽くなるから、行動が変わります。

その順番が逆になると、どうしていいわからなくなるのです。

 

例えば、チューリップを育てようと思っても、ひまわりの種を植えたら育ちません。

ものすごく当たり前のことですよね。

植えている種が違うのですから。

 

それと同じです。

チューリップを育てたいと思って、必死に水をあげたり、日に当てても、そもそも種が違えば育ちません。

 

行動していても、現実が変わらないのはそういうことになります。

行動を変えても、現実が変わらないように思えるのも同じです。

 

根本的な波動エネルギーが変わっていないというのは、種が違うということです。

そこを変えない限り、アナタの現実は何も変わりません。

 

逆に言えば、そこさえ変えてしまえば、出来上がるものも変わるということです。

チューリップが良ければ、それを植えればいいんです。

チューリップの球根を調達しにいけばいいことになります。

 

王様のような生活は、チューリップがいいと言っても、ひまわりしか育ててはいけません。

法律で決まっているのです。

国王様が決めたことです。

そんな言葉によって、支配されてしまいます。

 

こそっと育てていると、見つかって捨てられてしまう。

その生活が本当に満たされている毎日なんでしょうか?

 

「なんでもいいから変えてくれ!」というのも、どんな花が育ってもいいということになります。

それでアナタの心は、自由で豊かになれるのか。

どうせ見るんだったら、自分が「見たい!」と思うものの方がいいと思いませんか?

 

これら全てが、今の社会においても同じだということです。

誰かの作った社会。

誰かの作った世界。

現実、ルール、環境。

そこで、本当に心から楽しく生きているのか?ということです。

 

生きているということは、その体験をすることになります。

同じ体験をするんだったら、アナタが最高に楽しいと思える現実を、自分で好きなように作る方が楽しそうではないですか?

自分が好きなように遊んでいれば、同じような方向性を持った人が集まってきます。

そうしていけば、自然と仲間は増えていくのです。

 

方向性があるから集まるのではなく、アナタがアナタの足で自分の「これだ」と思う方向性を進んでいるから出会えるんです。

ここを間違うと、いつまでも欲求不満になります。

「方向性はあるから、誰か作ってくれ!」となります。

そんなことは誰もできないんです。

 

自分で作る楽しさがわかれば、軽い世界のことも理解できるようになっていきますよ。

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ABOUTこの記事をかいた人

今西 史樹

今西 史樹(いまにし ひとき) BEC株式会社代表取締役。 軽く楽に楽しく生きるための価値観、波動の使い方、思考の使い方などを伝えています。電子書籍『波動のチカラ』