ふと頭に浮かんだこと、イメージが湧いたことをやってみると、次のイメージや浮かぶことが出てきます。
そのイメージが、思っていたものと違うことであったとしても、1つの小さな行動が次を作ることになるんです。
その積み重ねをしていくことで、知らず知らずに自分が進みたいと思っていた方向性を進めていたということに気がつけるようになります。
興味のないことや、進みたくないことはイメージすることがないんです。
だから、どんなことであっても、それが一見すると「え〜」と思うようなことであっても、やってみる価値はあります。
小さな思考と小さな「できた」が、楽しい現実を作るワケ。
何よりも思考したものしか、アナタの現実にはできません。
それが、外の情報であっても、自分の中から出てくる情報であっても同じです。
どんな現実も、アナタの同意なくしてできることはないからです。
だから、日常にある小さな思考を見逃すことになれば、無意識の時間になれば、現実は自分のご機嫌な方向性に定まっていかないのです。
もし今、アナタが気に入らない現実を体験しているのであれば、それはアナタがどこかで「同意」したからそうなっていることになります。
逆に言えば、その同意を止めることができれば、目の前の現実を変えることも可能だということです。
そのためには、波動エネルギーのことを理解する必要があります。
波動エネルギーを感じられるから、どこで同意しているのかを理解できるのです。
もし波動のことがわかっていなかったら、マインドで必死に同意したところを探すことになります。
それをしても見つからないのです。
マインドで理解できることであれば、それに同意するはずがないんですよ。
例えば、ここから先の道は灼熱の砂漠だとわかっていれば、わざわざそこに足を踏み位入れる必要はありませんし、灼熱の砂漠と常夏の林道が選べるなら、歩くことが楽な道を選ぶはずです。
でも、それができない、どこに自分が同意したのかわからないというのは、その2つの選択肢を把握できていないということになります。
今のアナタがマインドで把握できていないものを、マインドで探して把握することはできません。
波動がわかっていくと、今まで見えてこなかった道がわかるようになります。
灼熱しか見えていなかったのに、ふと横を見ると「あれ?こんな道あるの?」ということがわかるようなイメージです。
それが見えるためには、共振するエネルギーを変えていく必要がありますし、無意識に生きることを止める必要があるのです。
今までとは違う道を進むから、違う景色が見えます。
すごく当たり前のことですが、今までと違う道を進んでいくことで、違う景色を見ることができます。
海沿いを歩くのと、街中を歩くのと、山を歩くのは違いますよね。
でも、海が嫌いな人はそこを歩きませんし、街が嫌いな人はそこにいかないはずです。
現実はそれと同じなんです。
アナタが「海が見たい」と思えば、海を見にいけばいいと思いますよね。
軽い世界やご機嫌な世界を体験したいと思えば、その世界にいけばいいワケです。
海を見にいくには、「どうすればいいのか?」ということを知っているので、海を見にいくことはできると思います。
でも、もしアナタが、海があるということを知らない、海に行く方法がわからなかったら、そこにたどり着くことはできませんよね。
どこに海があるのかを把握しても、電車の乗り方や車の乗り方、歩いていく道を詳しく知っていないとそこにいくことはできません。
これも、軽い世界やご機嫌な世界も同じだということです。
海という概念、どういう場所なのか、どうやっていけばいいのか。
そのような小さなことを思考し、できたを積み重ねていくから、そこに行くことができます。
軽い世界という概念、どういう場所なのか、どうやっていくのか。
全く同じですよね。
ご機嫌な世界に行くには、自分の中から出てくる情報に触れる必要があります。
それを引き出すにはどうすればいいのか。
そして、どういう思考をしているのがご機嫌なのか。
それらを知る必要があります。
今まで習ったことと反対を進めばいい。
今まで習ったことと反対を進めば、軽くご機嫌な世界を作れる波動と思考にたどり着きます。
それは、今まで習ったことが、重く不機嫌な世界を作れる波動と思考の使い方だからです。
これは、問答無用にみんな好きかどうかではなく、強制的に街を歩かされている状況になります。
街を歩くことが好きな人にとっては、それでいいと思えますし、楽しいことになりますが、それが合わな人にとっては苦痛で仕方がないように思えるはずです。
それが、ご機嫌で生きたいと思っているのに、重い世界の中に閉じ込められている状態になります。
かといって、支配している彼らは、僕らに鎖をつけて強制的に街を歩かされているわけではありません。
思考操作というもの、つまり、「街しかない」と思うことで、海や山という概念自体を持たせていないのです。
そもそも概念がなければ、苦痛だけどここしかないと思うことになりますので、そこに適応しようとなります。
合わないのに適応するのって、かなりのストレスですから、そりゃ病気になったりもしますよね。
それが、今の社会だということです。
「おかしいぞ?」と思いながら、情報がないし、概念もないから捉えられないんです。
だから、どうしていいかわからない状況が生まれます。
これを彼らは狙っているんです。
どうしていいかわからないと、思考停止状態を作ることで、人を誘導できます。
だから、議論させて対立を生み出していきます。
さらに、あえて対立が出るような情報を流したりしていきます。
すると、「おかしい」ことに気がつく人が増えるのですが、それに対して「どうすればいい?」というものもないのです。
そんな時に、「こうすればいいんだ」というようなリーダーを生み出せば、そちらに多くの人を動かせるようになるんです。
でもそれは、あくまで誰か(ここで言えばリーダー)の正義を進んでいるだけなんです。
それって、何も変わらないことになります。
リーダーが変わっただけで、オリの中にいることに変わりはありません。
「どうすればいい?」と思ったら、アナタ自身でどうしたいのかを決めることで、ご機嫌な現実を作ることができます。
海がいいなら海に行けばいい、山なら山に行けばいい。
その概念を知るためには、その情報を仕入れていく必要があります。
そして、浮かんだことをやってみる勇気と覚悟がいるんです。
見てるだけじゃ、何も変わりません。
誰かがやったことに乗っかるだけでは、自分に主導権はないんです。
その状態でアナタ自身の現実に文句を言うことは、「どこでもいい」と言いながら、海に連れてこられて「ここは嫌だ」と言っているのと同じなんですよ。
それを言われる側(連れて行った側)になったら、「じゃあ、自分で行け」ってなりませんか?
できるようになるには、自分で進むしかないってことです。
むしろその方が、楽に進めるんですよね。
そこは、やってみて「できた」という体験を積み重ねるしか、確信は得られないです。
まとめ
自分でなんでも作ることができる。
ここの確信が得られたら、生きることに対してすごく楽になります。
会社がなくなろうが、人間関係が変わろうが、社会が変わろうが、金融が崩壊しようが、何が起こっても「自分で作れる」という自信は揺らぎません。
仕事は自分で作れるし、人に会うことも自分で作れるし、社会がなくても、金融がなくても生きていけます。
何かに依存する必要もなければ、誰かのために生きる必要もないんです。
自分のために生きて、自分の好きなことをしていれば、その方が5000倍、周りも笑顔になっていくことに気がつけるかどうかです。
僕がそう生きることができるようになったのも、波動のことがわかったからなので、軽くご機嫌な世界にシフトするために必要なことだと思っています。
「こうすればいいのか」という発見が、小さな思考を変えて、現実になり、できた体験を作っていく。
その流れに乗れば、軽い世界には辿り着けますよ。
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