今回は、分析の方法についてお話していこうと思います。
現実を変えていくためには、自分の思考を分析していく必要があります。
では、なぜ分析が必要かというと、自分がなにかしらのオーダーをすることによって現実が出来ているからです。
それがいいも悪いも、都合が良くても都合が悪くても、楽しくても楽しくなくても、ご機嫌でもご機嫌でなくても、全部どこかしらでオーダーしているんですよね、自分の思考が。
そうは言っても、どこが自分の思考によってこの現実、この感情や気持ちが作られているんだ?というのがわからない限り、結局何を変えたらいいのかわからないし、どうしたらいいのかもわからない、ということになると思います。
じゃあ、分析どうしていくかと言うと・・・
例えば、自分が「微妙だな、楽しくないな」と思う現実が見えたとします。その見えた時とか体験した時の「スタート」がどこか、なんですよ。自分の思考のどういう側面、どういうタイミングでその思考になったか、というのが見つけられるかどうかです。
で、ここですごく重要になってくるのが
普段、普通にしていて自分が軽い世界にいると、重くなった時やご機嫌じゃなくなった時のタイミングがわかるようになってくる、ということなんですよ。
ということは、ベースが軽い重いっていう部分で言うと、軽い方、つまり普通にしていて楽しく生きててご機嫌、がフラットな状態になってない限りは、分析しても、どこが「それ」なのかわからないんですよ。重いのがベースの状態で分析しても、ずっと重いから分かりようがないんです。分析するも何も、ずっと重いわけですから・・・。
だから分析する前に大事なのは、まずは自分が「軽くて普通」な状態に持っていくことです。
その状態を前提として、分析のやり方は以下の通り。
軽くて普通でいる状態から、どのタイミングで、どういうことが起こったら、重くなったか。どういう出来事だったり、どういうタイミングだったりだったか?というのを遡っていくんですよね。で、遡ったり、自分が嫌だなって思う現実が起こるきっかけですよね、きっかけとして何が起こっているのか。それを突きとめていくんです。
これがねー、きっかけがね、重くなかったりするんですよ。
例えば家族との関係性が微妙だと思っていたら、それは、自分が楽しくしているから、家族が自分の気を引きたくてやった行動だっていう可能性があるんですよ。
ということは、楽しくしてれば、逆に家族から気を引かれるというような行動を起こされたりっていうのが、全然あるんですよね。ってなってくると、そこを見抜けるかなんですよ。
何も、重い現実だから何か自分が重いことをしたからそうなったわけじゃなくて、楽しくした結果、楽しそうだから人が寄ってくる、その寄ってきかたがうざかったというだけの可能性があるんですよね。となると、「あ、自分は楽しくしてるとこういうふうに家族から言われるんだ」というのがわかっちゃえば、次にその現象が起きた時に、「今自分て最高に楽しくできてるんだな」って思えるんですよ。
その自分にとってうざい家族の行動を変えるというのは、相手に対しての介入になるからできませんが、そうじゃなくて、そういう事象が起こってる今の自分てすげー楽しいんだなって思えるようになるんですよね。
これが結構大きくって。
自分が楽しめる現象として捉えられるから、嫌にならないんですよね。すごい絡まれても、「なんか自分、今楽しいんだな」と思えるから、出来事の解釈が変わってきます。
で、出来事の解釈が変わるということは、捉え方が変わるわけです。
捉え方が変わるということは、価値観が変わることなんです。
価値観が変わるということは、事象に対しての考え方や定義が変わるということです。
事象に対しての考え方や定義が変わると、それの受け取り方が変わってきます。
受け取り方が変わるから、自分の気分が変わります。
気分が変わるっていうのは、波動が変わるということ。
だから、ご機嫌になれます。
同じ事象が起こったとしても、そういうことが起こるんです。
で、軽くなったらどうなるかっていうと、気にならなくなります。
気にならなくなるから、自分がたいして変わってないのに、解釈が変わるだけでそういう現象を見なくなる。見なくなるというよりは、事象は起こってるんだけど、どーでも良くなっている、ということが起こったりします。
この一連の考え方ができていれば、どんな事象が起こったとしても、その事象が起こる因果関係さえ掴めれば、そうなれるんですよね。
そうなれると、軽くなれるというか、何かが起こっていたとしても、気にならない。起こったとしても、自分の反応が変わる、すごく楽になる、というようなことになっていきます。
これが、分析のやり方です。
自分の現象に対しての因果関係を見つける。
そこからのいろんなパターンや抽象化したりとか、とにかく様々なパターンを研究する。
で、抽象化したものの中から、自分の傾向がわかる。
自分の傾向がわかったときに、どういう行動によってそれが引き起こされるかがわかってしまえば、その行動と事象の一致ができるんで、そうなるとすごく楽ですよね。
だって考え方が変わるんです。
家族のその対応や態度が嫌だ!っていうところから、その対応、態度から自分の状態がわかる、というふうになる。
そこまでわかってはじめて、自分の現実って自分で作ってるんだなってわかるんですよね。
感じ方が変わったりとか、対応の仕方が変わったりするから、おーめっちゃ変わったじゃん、現実変えられたねっていう感覚になる。
で、その感覚を蓄積し、積み重ねていくことで、「できた、できた、できた、・・・」になるから、よし、自分の感覚はこういうことだ、こうすれば面白いし上手くいく、ということを信じることができるようになっていきます。
話は少し変わりますが、それを取っ払って「すぐ」に、その感覚とか自信・・・自信というか、自信って自分を信じると書くわけなので、自分を信じることだったりとか、ものにするとかいうのは、ちょっと難しいかもしれません。
で、これがよく言われるような「修行」とはちょっと違っていて、感覚を扱う体験を今までやってきたことがない中で言うと・・・
例えば、今までやったことのないスポーツをやる上で、確かにすっとできることもあるでしょうけど、ある程度しっかりやろうと思うと、少し感覚的にアジャストする時間がありますよね。これがいわゆる「タイムラグ」です。
このタイムラグを楽しむために、今この「分離」っていう人間の体験をしているわけなので、この体験をしているということは、多少時間がかかって当たり前なんですよ。なので、「修行」と「過程を楽しむところ」をしっかり分けて考えられるようになってくると、過程そのものを楽しめるようになっていきます。
変えていける楽しさとか、変化の面白さとか、どうしていくかっていうワクワク感みたいなのができてくるんですよね。なんかそこがねえ、大きな違いというか、そこがわかってくると、分析するっていうのが楽しくなってきます。
どうやったら自分にとって最適な現実になるか、どうやったら最高にご機嫌な現実になるかと言うのがそこからわかってくるんですよね。それを楽しめるんだったら探求したり研究したりすればいいかなと思います。
それが面倒なのであれば、やってくれる人に頼めばいいし、そういうことを感じる考えられる人と一緒に考えればいいと思うんですよ。
だから、情報を聞きました、実際に自分でやってみました、できました、オッケーです。それでいいと思います。そういう探究心があるんだったら全然オッケー。
めんどっちい。なら、頼めば?になります。
それは人の個性によるから好きにすればいいと思います。僕自身はそこを探究するのが好きなので、一生やってます。
分析して、自分のきっかけですよね、それが紐解けるのが面白い。まあまず軽く生きるというベースがあってなんですけど。
そこから分析して、あーだこーだってやっていって、戻る、分析する、あーこういう現象があるなあ、自分の行動に対してこういう現象が起こるんだなあ、あーなるほどなあ、こういうふうに見えてるのかなあって相手視点で見てみたりして。
こういうふうに思うからこういう行動起こすんだとか、そういうエネルギーの流れだったりエネルギーの状態を見分けた上で、自分の今の現象を見ると、あーだからこうなんだっていう因果関係が結べます。因果関係が結べるから、「おっしゃ、これでいいやん」って、思えるんですよ。
これを分析できるのが、まあ面白いんですよ~。めっちゃおもろいっすよ、僕はいろんな人をみてきましたけど、めっちゃおもろいし。そこを分析したときに解ける感じとかがね、面白い。
そんな感じで分析していけば、自分の現実っていうのは自分の現実でしかないし、本当にこの世界の面白さに気がつけると思います。なので、もし興味があったらやってみてください。
面倒くさい、難しく感じる、掴めそうで掴めない、混乱してきた、なんて方は僕がお手伝いしますので、一度診断を受けてみてください。

















