人生を楽しむという言葉があります。
それを実現できている方もいれば、できていないと感じている方もいます。
ただ大事なのは、
楽しむという意味が、世の中で言われている楽しいということに、全て当てはまるわけではないということです。
例えば、ビジネスでお客さんに囲まれているのが楽しい!と感じる方もいれば、
家で一人ゆっくりしているのが楽しい!と感じる方もいます。
人の不幸を楽しいと感じる方もいるでしょう。
苦しい体験をすることで楽しい方もいます。
本人がどう自覚しているかわかりませんが、苦しい体験ばかりするのは、それが楽しいと感じているから、その現実を起こすんです。
自分の現実は自分で作っています。
だから、全部が楽しいから作っていることなのです。
ここが納得できれば、すごくラクに思えます。
自分に合わないところを目指す必要がなくなるからです。
人の不幸を見て、なんだか心が軽くなったとしたら、それはそれで1つの楽しさと思っておけばいいんです。
そこで、「そんなことを思ってはいけない」と思うから、逆にしんどくなっていきます。
ということは、道徳的なんてどうでもいいということです。
人生を楽しむためには、自分の思ったこと、感じたことを、素直に楽しめばいいだけなのです。
じゃあ、殺人が楽しいのなら、それをしてもいいのか?
という極端な思考が出てくるかもしれません。
それがしたいなら、それも1つです。
ただ、そう簡単にできるものではありません。
現実は、すべて、同意のもと起こります。
なので、殺したい人と、殺して欲しい人がいるから、そういう事件になります。
そのどちらかが受け入れてなかったら、そういうことは起きないのです。
そしてそもそも、
人を殺すという発想自体がなければ、そういう選択肢は浮かんでこないのです。
赤ちゃんに、その発想はあるかと言われたら、ありません。
つまり、そういうことが起こる。
そういうことをする人もいる。
ゲームでそういうことをしている。
そういう情報があるから、してみたいという発想が生まれます。
それをなくすことは、今の社会では無理ですが、それを見たとしても、自分がそれを受け入れないという選択はできるのです。
だから、一人一人の思考が大事なのです。
受け入れなかったら、何も起きません。
受け入れるから起きるんです。
だったら、自分がご機嫌になれるものだけを受け入れればいいんです。
情報を消すことは難しいでしょう。
だからこそ、そこに乗らないことが大事です。
時代が違えば、社会が違えば、情報は変わります。
その情報の変化によって、そこにいる人たちの思考も変わるんです。
変えられてしまいます。
それも、気がつかないうちにです。
だから、気がつけないと始まりません。
そのために、超感覚を養っていく必要があります。
感覚で、受け取ることに自信を持つ必要があるんです。