「猫はお気楽でいいよなあ〜。」
そんな言葉を聞く猫は一体どんな気持ちなんだろう。人間から不意に飛んでくる羨ましさや憧れの眼差し。「へっへーんだろー」かな。いや、「そんなこと言われてもなあ」かなあ。
いや、はたまた何事もなかったのように、時がすぎていくのかな。自分は何も特別なことをしていないのに、勝手に投げ込まれてくる羨ましさや憧れに対して、なーんにも思わない。動じない。感じない。「・・・。」、、、これだな、きっと。でも、この状態って、最強だと思うし、これこそがみんなが猫に憧れる最大のポイントなんじゃないかと思う。
猫のように「ゴロゴロすること」に憧れているわけじゃない。
猫のように「行きたいところに行けること」に憧れているわけじゃない。
自分のやることに堂々としていること。誰になんと言われようと、自分のやりたいことを貫いていること。この姿が輝いて見えるんじやないだろうか。
「猫はいいよな〜」に対して「いいだろ〜」とか「いえいえこれでも色々大変なんです」とか、そういう返答の仕方は、まさに人間そのもの。「いいだろ〜」は相手を見下して自分が大きくなっているし、「色々大変なんです」も自分が小さくなっている。どっちも自分の大きさが大きくなったり小さくなったり。まるで風船のよう。しぼんだり膨らんだり。そんなに大きさを変動させていたら、そりゃしんどくなるわけだ。大きさがその都度違うから、風船の生地もビヨンビヨンになるし、何よりその都度吹き入れる息の量が違うと、まるで100メートル走とマラソンを交互にやるような、アスリート並の調整バリハードモード。
では、風船の視点で見る猫の場合はどうなるんだろう。私は猫、私は猫、、、。
きっと、「ふーっ!」といつものように息を入れて、「今日はこれ」と吹き入れる息を止めて、風船を縛る。はい、出来上がり。以上。ああ、なんて簡単。そしてあとは、吹く風になびいてふわふわ飛んでいればいいもんね。だって、やりたいことは、ふわふわ飛んでいることなんだもんにゃー。、、、笑。
自分で吹き入れる息の量を決めることほど、楽で簡単なこと、ないよなって思う。それこそ「自由」ってやつだ。周りの出来事に関わらずに自分を保っていられること。でも、この姿に憧れるってことは、どれだけ今の自分はそれができていないってことか、、、。「いいな〜」って思うってことは、、、だよね。
そんなことを、BGMで流しているディズニーメドレーのタイトルを見てふと思ったのでした。そのタイトルは、『おしゃれキャット』の「everybody wants to be a cat.」。
キマッターっ!!!! ←キマッてるんかな?笑
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