「折り合い」ってなに?
わたしにどうなってほしいと思っているの?
折り合って、どうしたいの?どうなりたいの?
どうなりたいのか?
どうしたいのか?
それがよく分からない「折り合い」は、「折り合い」とは言わないのではないでしょうか。
それに
折り合いをつけるのに、どちらかの妥協が入ってしまっては
意味がないと思うのです。
「折り合いをつける」と「妥協する」の区別が曖昧な気がします。
お互いが納得するカタチにしよう。
納得するカタチって、なんだろう?
「納得」しなきゃ、いけないの?
お互いが納得する状況じゃなきゃいけないの?
その「納得」って、どちらかが妥協している状態なのかもしれません。
納得「する」のでは、ない気がする。
「そんな考えもあるんだ〜、いいね〜」
これで終わり。でも、いいんじゃないかな。
「そんな考えもあるんだ〜、いいね〜」
自分のそれをしたい!と思えば、それをすればいいんじゃないかな。
どちらの意見も
どちらの考えも
生かすことのできるカタチ。
それが、折り合いをつけることだと思うのです。
その人が「それがいい」って言うんだもん。
じゃあ、それで、いいんじゃない?
そこに
「納得してもらう!」とか
「お互いが納得するカタチにしたいから、話し合う!!」とか
意気込んでするものでは、ない気がします。
両方の意見が達成できるカタチがあるならいいよ。
でも、それが叶わないのであれば、別のことをするしかないですよね。
じゃあ、それでいいと思うのです。
”お互いの良さ”を交えた混合体が折り合いじゃないのかな?
そのためには、お互いを認め合うことが大事。
お互いを。
ということは、
自分も認める。
相手も認める。
それが、「折り合いをつける」じゃないかなあ。
そしてある意味、折り合いをつける必要も、ないのかもしれない。
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