日が暮れてきた。
そろそろ夕飯の準備を開始するタイミング。お米の浸水に昆布の浸水。お米の浸水に、冬の場合だと1時間ほどかかる。味噌汁の出汁として使っている昆布は、水に30分以上つけておくと出汁が出やすいとのこと。それだけを終えると、ひとまず準備はオッケー。
そうして、お腹が空いてきたら、料理開始のゴングが鳴り始める。
ご〜〜〜〜ん。
さっ、ゆうこのクッキング、スタートや〜!
今でこそ、「クッキング」と軽快なトーンで言えるが、
以前の「料理苦手な私」だと、ま〜〜〜〜〜この料理の時間がとてつもなく長く感じていた。あれもしてこれもして、ここを綺麗にしながらこれを作って・・・。それだけ料理を作るときの動きをイメージしながらやってはみるが、結局、点と点だけで成り立つものになり、線としては繋がることなく・・・。出来上がった料理を目の前に、私の中は空っぽになっていた。
「料理って疲れるわあ」
「味もなんか、微妙だし・・・」
でも、今やこの料理の時間が、なんとある種の「瞑想」的な存在になりつつあるのだ!そんな状態になった今だからこそ、わかる。「料理苦手な私」の原因たち。
・「あれもしてこれもして」というガチガチ作戦
・「台所を綺麗に保ちながら作らなきゃいかん!」という自分へ課したルール
・「ん〜味付けがわからん!」という自分の舌への疑い
・なんせ疲れるから、早く終わらせたい〜!という時間制限
主に、これら3つが、料理が疲れる原因だーっ!
そして、これら3つが今の状態だとどうなったか?
ゆる〜く料理しています。
まず、作るごはんの内容は、そのとき自分が食べたい料理。だからこそ、自分の興味赴くまま、ただただ「美味しいこのご飯を作る!食べたい!そのために・・・!」という気持ちがエンジンになっている。料理のゴールは、美味しいご飯を食べること。そのためにと思ったら、謎に課していた自分へのルールが一変。時間制限?ナッシング。時間のかかるものは早めに火にかけて、材料を全部先に切っといて、炒める。切っている”今”に集中し、炒めている”今”に集中する。その一つ一つの過程をやり切る。「あれもしてこれもして」?ガチガチ作戦は、私にはどうも合わない。ただ頭の中がパニックになるだけ。目の前の一つ一つをやり切っていくことが、私のやりやすい、歌を歌いながらできること。まさにTHIS IS ME.だ。「味付けがわからん」?自分が「美味しい^^」って思ったら、それでいいのだ。そう思えるまで、変えたらいい。自分で変えられるんだ。考えるな、感じろ。
そんな風に料理をしていたら、「失敗作」がなくなった。
「失敗」ではなく、「次はこうしてみよう(ヒラメキ☆)」の材料になる。実験の繰り返し。そうやって実験しているからこそ、ネットでみるレシピの情報をみるのが、これまた一段と楽しくも感じる。
はて、今までの「料理苦手な私」は、なぜ自分で自分をカタめていたのだろう??自分で自分に対してルールを決めて、自分の動きの可能性をカタめて、挙げ句の果てに「苦手や〜〜〜」と嘆いていた。
あっはっは。
美味しいご飯て、幸せやなあ。
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