「料理を美味しく作る。」
これって普段何気なくやっていたことが、実は意外に難しいということに、最近気がついた。
私の作る料理を食べると、なぜだかみんな「笑顔」になる。
無言になってもぐもぐ無心で食べていたり、顔が朗らかになって「おいしっ」と口をモゴモゴしながら呟いていたり。
人それぞれの個性の分だけの「おいしい笑顔」を見ることが多い。そして、その笑顔を見るたびに自分の中で実はものすごく喜んでいた。
「実は」というのも、毎回毎回、誰かの「おいしい笑顔」をみて、実感として自分の中で喜びを感じていなかったから。「ああ、これってすごく幸せなことなんだな」と、誰かの「おいしい笑顔」をみて幸せと感じたのは、やっぱり誰かが言葉にして改めて表現してくれることが重なったとき。
「ゆうちゃんの料理は、やっぱうまいね」
そんな言葉を聞くたびに、「私、何も特別なこと、してないんだけどな」って、思う。
だってなんなら、きゅうりを簡単酢に漬け込んだだけのものを、「きゅうり、おいしい!」と言ってくれる。
もはや私が作ったというより、「簡単酢」が作ったようなもんなんだけどなー(笑)と思った。
とんかつだって、普通に売ってるスーパーの豚肉を、叩いて塩胡椒降って、小麦粉卵パン粉をつけて、油であげただけ。
もはやそれは、私が作ったというよりも、塩胡椒や小麦粉や卵たパン粉や油が作ったも同然。
豚肉を柔らかくするために、漬け込んだりしてないし、塩胡椒をまぶしながら「美味しくなーれー、美味しくなーれー」なんでおまじないもしてない。
私は何にも、していない。
でも、私が作った料理を「おいしい」という。
よもや、「料理」ってなんだ?って、最近感じた。
そこでたどり着いた、私なりの真実。
夢中になって作ることが、最高のスパイスなんじゃないか?!
私は料理で何もしていないが、逆に何をしているのかを思い返してみると、ただただ夢中に料理を作っている。
できあがりの姿を思い浮かべて作り始め、そのための過程をただただ歩み続けていく。
目的地まであゆみ続けていくと、気がつくとゴールにたどり着いていた。そのゴールが、「できあがり」のタイミング。
巷の奥様の料理についてお話を聞くと、どうも「調理時間の短縮、命!」とか、「作るの面倒だけど、私が作んないと家族が食べられないから」とか。
料理をする過程は、「夢中」とはちょっと言い難い姿なのかな、と私は思う。
そこが自分なりに思う、私の料理の違いなのかなって思う。
なーんて「夢中」ってかっこよく表現してみたけど、ある意味では「必死」に作っている。(笑)
だって、お腹すいたし、早く美味しいご飯食べたいしで、ちょっと効率よく作っていきたいじゃん。
そういう意味での「必死」です。となると、「必死」と「夢中」って、ちょっと似ている状態なのかな。
そんなこんなで、今日も私は料理をするのでした。
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