毎日の何気ない日常にこそ、「なりたい自分」になるためのヒントやきっかけがあります。
そしてその日常にあるきっかけは、新しい習い事を始めることでも、新しい習慣を作ることではないと思います。
もっともっと日常のこと。
いつも何気なしに無意識に決めてやっていることたちです。
その視点について、私はとある漫画で実際に思うことがああったので、思ったことを書いてみようと思います。
「やらない」選択をしたその時の自分の感覚。
ここ最近、『キングダム』という漫画に再びハマっております。2週目のキングダムを満喫中です。
『キングダム』と私との最初の出会いは、相棒に薦められたから。
「ストーリーもおもろいけど、キャラクターとか考え方とかがおもろいよ^^」と。
でも最初は私、実は断固として読もうとしなかったんです。
なぜか?
この漫画、絵のタッチがなかなか激しいというか、私にとってはちょっと刺激的な描写だったのです。
ストーリーの背景も、始皇帝とかそこらへんの時代(←ちゃんとわかってない笑)の乱世を描いているので、戦いの様子とか血がビャーっとか首がヒュンっとか、そんな絵がいっぱい・・・(・・;)
「怖いからやめとくぅ」
そういって、『キングダム』とは関わらないようにしていました。
「やる」選択をした時の感覚。
なんということでしょう、今や「2週目を満喫中。」と言っちゃうくらいのハマりよう。
あの時の私の「怖いからやめとくぅ」は、なんだったのでしょうか。
実際に読んでみると、確かに描写は私にとってはなかなかリアルなものばかり。おえ〜〜〜ってなる。
でも、それよりも、ストーリーがホンマにおもろいのです。というか、ストーリーに自分が入り込んでいくと、生々しい描写もなんのその。読みながら自分の頭の中で、漫画のキャラクターたちが生き生きと喋っています。この生き生きさは、きっと作者・原さんのそういった描写のおかげなんでしょうねえ。
なんで「やらない」の選択をするのか?
そう思うと、最初の印象でずーっとそのモノをとどめておくのって、なんだかなあって感じです。
読んでみると、やってみると、体験してみると、意外や意外なもんです。
それに、案外、最初の印象が怖かったり嫌だったりと、自分にとって「良くないもの」の方が実はやり手。毎日を生きていくうちに、知らず知らず枠を作っていた自分にはないものだったりする。
そうか、自分にはないものだから、そう言った「良くない」印象が出てくるのかな?
自分にとって新しい知らないものって、やっぱり自然と構えますよね。これってどうなんだろう(ーー;;)みたいな。
完全にそのときの自分の価値観や常識の中で、その得体のしれないものを測ろうとする。測って、「あぁ、こういうやつね」なんて”知った”感覚になって、「怖いからやめとく」って。それでその体験を後回しにしようとする。
「怖い」っていう感覚も、自分の感覚。もちろん、その自分の感覚も大切だと思う。
その感覚を元に読むの?読まないの?どっちなの?んー、読まない!って決める。これはこれで、いいと思う。
でも、その感覚のまんまの自分でずーっといること。その状態って、「自分で勝手に決めつけている」っていう状態になるのかもしれないなあ。今までの価値観で決めつけている。つまり、常識に囚われているような状態と同じ。
よく親に、「決めつけんといてよ!」なんて言っていたけど、実は自分自身がやっていたんだよなあ。
親は私に対して、私は『キングダム』に対して。
「なりたい自分」になるって、どういう意味?
自分の感覚にしたがって、自分で判断する。そして、その「自分の判断」を越えていくことが、次の自分の変化に繋がっていくのかなあ。この「次の自分」っていうのも、「進化」とか「新しい自分」とか「なりたい自分」とか、自分が今までよりも大きくなっていく・変化していくっていうよりも、
もっと、自由に生きること
なんじゃないかなあ。
なんていうことを、私は漫画『キングダム』との出会いから感じました。
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