知らず知らずのうちにしている我慢、ありませんか?
「知らず知らず」というのも、きっとものすごく”地中”深くに埋まっているから、表立ってはいないんだと思います。というか、ある種「痛みを感じないほど」になっている状態とも言えるのかもしれません。
例えば、バレエの話でいうと、トゥシューズって、人生で初めて履く時期ってめちゃくちゃ痛いんです。マメが大量にできるほど、痛いんです。足の指が変形しちゃうほど、痛い場合もあるんです。でも、何度も何度も履いているうちに、皮膚が分厚くなったり、痛みに慣れてきたりして、履けるようになっていきます。
そう、この、「痛みに慣れてくる状態」、これが、我慢についても同じことが言えると思います。我慢して我慢して繰り返しているうちに、我慢を感じなくなっている・・・「我慢」っていう認識が薄れてくる・・・。
「でも、我慢を感じないならそれはそれで、いいんじゃない?」バレエで言うなれば、「トゥシューズが履けるようになったからんいいんじゃない?」ってとこでしょうか?でも、きっとどこかで”自分”が調整しているんだと思います。バレエダンサーの足の指って、特徴的な形をしています。そうやって「調整」していますよね。我慢の場合も、その調整というのが、体の不調だったり、自分の見える現実(喧嘩が勃発しるとか)だったりするんだと思います。そうすることが、サインになっていると思うのです。「気づいておくれぇ〜」みたいな。そういう”カタチ”として現れる。
そんな時は、知らず知らずのうちに我慢していることに気づくチャンス。
「私、何を我慢している?」
でも、そもそもなぜ我慢をするのか????
きっと、「嫌」っていうことを言えないからだと思うんです。
「嫌だ」って言ったら、嫌われちゃうかもしれない。
「嫌だ」って言ったら、怒られるかもしれない。
「嫌だ」って言ったら、相手の負担が大きくなっちゃうかもしれない。
「嫌だ」って言ったら・・・・どうなっちゃうの!?
「嫌だ」と言うとこへの恐怖。
そして、怖いから「いいよ」と言って、我慢する。
そうすると、現実の見た目上は穏便に終わる。
「ああ、よかった。」ある種の成功体験です。
だから、また我慢する・・・。
我慢して、嫌なことをやる現実を、自分で「OK」する。
でも、それって、自分の本音ではないですよね。自分の本音は、「嫌だ」「やりたくない」です。
そこの根本的なところから、本音で行動してみるからこそ、本当に”気楽”になることができるのかなあと思います。
それこそが、「本音で生きる」っていう状態なのだと思います。
だから、もっと気楽に、もっとシンプルに、力を抜いてもいいのかもしれません。”自分”をもっと尊重してあげたいですね^^
「やめる!」から、「本音で生きる!」という新しいことができますねっ♪
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