大好きな小説家・西加奈子さん。
とある西さんのトークイベント動画で「思いやりとは」について語られていた。
そこで、
「思いやり」とはなんだろな・・・?
と考えている自分がいた・・・。
「思いやり」って、いるのかなあ????
そんなキテレツな疑問が浮かんできたのだった(○。○!)
相手のことを思って行動する「思いやり」。
相手のためになるのであれば、どんな言葉を届けてもいい。
それがきっと相手のためになるから・・・。
「自分がもしもあの人だったら・・・」
自分がその人の立場だったらされて嬉しいこと。
そのことを考えて、行動する「思いやり」。
でも、「思いやり」って、いるんでしょうか??
昔のゆうちゃんだったらは、もちろん!!
「あったりまえじゃんかよ!!!世の中、”思いやり”でできてるんよ!」
って言いそう。笑
でもね、よくよく考えてみたら・・・
「相手のためになるなら・・・」と思って届けた言葉って、
案外「おせっかい」って思われたり、
自分の思いに反して「うざい」で一掃されたり、
いらぬ概念を相手にプレゼントしてしまうことがある。
逆に、
何気なしに言った自分の意見や視点を相手が聞くことで、
「そうか・・・そんな意見もあったね・・・」
なんて、こっちが「思いやり」を持たなくても、
勝手に相手のためになっていることがある。
「自分がもしあの人の立場だったら・・・」
自分がされて嬉しいことと、相手の嬉しいことって、
違う場合がある。
自分が「思いやり」のつもりでやったことが
「なんでこんなことしたのー!?」なんて言われることも・・・。
そんなケースなどを思い浮かべると、
果たして「思いやり」とは、必要なものなのだろうか??
「思いやり」って、”持つ”ものじゃない気がするのです。
「思いやり」って、”ある””ない”ではない気がするのです。
気づいたら”している”ものだと思うのです。
(それこそ、「自分の好きなことはもうすでにしていることだ!」と同じような感じかなあ。)
もちろん、相手の視点を考えることは、大事。
でも、相手の視点ありきの・・・
相手が主体となっている行動は、
自分主体となって動く身体の動き方を、忘れてしまいそう・・・。
それこそ、「思いやりを持つ」って、
ちょっとエゴに近しい匂いがする。
「あなたのためにやったのにー!!」みたいな・・・。
「思いやり」を持たなくても、大丈夫。
自分主体となって行動することが、ちゃんと誰かの役に立っている・・・。
「誰かのため」って思わなくても、
自分のやることで、
誰かが勝手に何かを拾って、その人自身で自分を救っていくから・・・。
「相手の喜ぶことを・・・」って思わなくても、
自分のやることで、誰かが勝手に嬉しがってくれるから・・・。
自分のまんまで、大丈夫なんじゃないかなあ^^
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