「充実した毎日を送りたい」
「充実した日々になるように頑張ります」
充実感を求める生活。
充実感を欲する毎日。
それはそれで、楽しいんですよね。
ある意味、
目標に向かって走っているみたい。
でも、
充実感を得ることが目標になるって、どうなんでしょうか?
充実って、結果的にそうなっていることなんじゃないのかな。
「おまけ」みたいな。
遊んでいる時とか、何かをやっている時って、
そのことに夢中になっています。
お掃除が好きだったら、ひたすら目の前の汚れを取ることに、必死。
編み物をしている時、網目を数えながら毛糸を編んでいくことに、必死。
サッカーをしている時、ボールを追いかけたりドリブルしたりすることに、必死。
自分じゃなくなっているみたいに、夢中になっています。
もう、その目の前のことで、精一杯。
そういう時って、「充実感」って感じないですよね。
だって、目の前のことで、必死なのですから。
いかに綺麗に汚れを取るか、
いかに正確に編んでいくか、
いかにゴールに近づけるか、
そのことを考えているから。
じゃあ、もう、その状態が充実している状態だから、
それでいいんじゃないでしょうか。
もちろん、振り返って、「あ〜充実してたな」って
出来事を噛み締めることは、その出来事が2倍以上になるみたいで、
振り返ることも楽しいなって思います。
でも、充実感を求めて、充実した日々を求めることは
ちょっと違うのではないでしょうか?
充実かどうかは、後から噛み締めるもの。
先に噛み締めようとしたら、空振りしそうです。
空振りするパワーがあるんだったら、目の前のことをただ、やればいいんじゃないでしょうか。
結局、自分がやりたいことをやっていけば、
結果的に、
知らない間に、
充実した毎日になりますね〜^^♪
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