元ペーパードライバー的視点から見た、「車の運転って、すげー」な話です。
車の運転について、一丁前に語ってみようと思います。笑
同時に見る項目が多すぎて、すごい。
車の運転をするにあたって、まず何が障壁だったかって、同時に処理する視覚情報が多すぎる点です。
これは単純に、その視覚情報の多さに「慣れていない」から、「多い」と単純に感じるだけではあると思います。
というのも、「歩く」というのも同時に処理する視覚情報として多い行動ではあります。自分の足で歩きながらのスピードで、前から歩いてくる人や横から歩いてくる人、音、車の来る気配、自分の歩く安全な道の確保など、なんだかんだで一度に大量の情報を処理しながら歩いて移動しています。
出来てはいるんです、一度に多くの視覚情報を処理することとしては。
ただ、「車」というあのスピード感での情報処理に「慣れていない」ただそれだけなんだと思います。
私自身、ペーパードライバーから脱却するために、相棒によく言われていたのが、「車のスピード感になれることがまず大事」ということです。歩くよりも早く、自転車よりも早く、バイクよりも早い。その乗り物に自分が乗って、自分で操作をして進んでいくんです。
そして今現在、ようやく車の運転に慣れてきて思うのが、本当にスピード感に慣れてきたなという感覚です。
スピード感に慣れたからこそ、その車のスピードで入ってくる情報たちを、自分の中で処理して、「こうする」と自己決断して、操作していく。
この一連の動作が、可能になったのだと思います。
あとは、自分に対しての思い込みも、「難しい」と感じていた要因ではありました。
「私って、猪突猛進だし、一個のことにしか集中できないし、一度にそんな大量の情報を処理しきれない。」という、謎の暗示を自分にかけていたなあと。
いやいや違う。
「できない」って最初からあきらめていただけ。
諦めていたから、できていない現実を自分で創り出して体験していただけでした。
車、運転できるように、なりたいんでしょ!?
じゃあ、どうやったら運転できるようになる??
どうやったらできるようになるか?
その視点になってから、「こうすれば安全に運転できる!」とか、ある種、能動的に情報をみて、判断して、運転ができるようになっていった気がします。
車のスピードで舞い込んでくる情報。
その情報たちに、いかに翻弄されず、情報をみて、決断して、操作ができるか。
車の運転ですげーと思った、「同時に見る項目が多すぎてすげー」なことを解消した、私にとっての捉え方でした。。。
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