私は「お願い」が、苦手だ。
要は、人にものを頼むことが、苦手なのである。
「あ〜、これ誰かにお願いしたい!」
「私ではできない。」
そう思った時に、誰かにお願いすることが、できないのだ。
これぞまさに、「お願い下手」。
なぜに私は「お願い下手」なのだろうか・・・(〜〜;)
ちなみに、お願いするときの私の思考回路は、こうだ。
「あ〜、これ誰かにお願いしたい!」→「誰かできる人orやってくれる人いないかなあ」→「Aさんにお願いしよう、Aさんの様子はどうかなあ」→「いや、やっぱAさんに迷惑がかかるから、自分でやろう」または「頼んでAさんが嫌な顔したら嫌だなあ。そんなAさんを見て私が嫌な気持ちにもなりたくないし、自分でやるか」
この思考回路で、実は以前勤めていたレストランでもたくさんの失敗をしてきた。笑
人にものを頼めず、自分でなんでも解決しようとするから、
流れが滞ったり、自分の中で爆発してしまったり。
そして、特にこの思考回路
「頼んでAさんが嫌な顔したら嫌だなあ。そんなAさんを見て私が嫌な気持ちにもなりたくないし、自分でやるか」
『自分がされて嫌なことは、人にしない』という考えもあったので、私自身は人からの頼まれごとを「はい^^喜んで^^」と受けていた。意識して。でも正直、「うおー、今は頼まれごとが立て続いてるぞ汗」なんて、内心焦っていた時もあったが、ひたすら笑顔で隠し・・・。「頼まれやすい人」になろうと心がけていた。
でも結局、「共倒れ」状態になることも・・・。
自分の状態もダメになるし、
物事が進まなくもなるし。
あ〜〜〜〜〜〜〜〜、人にものを頼むのが、どうも苦手だ。
だからこそ、バンバン頼みまくって回していた先輩が羨ましかった。
そこで「はて、なぜにこんなに昔から人に頼めないんだろうか?」と考えた時に、
私の中の「お願い」についての価値観を見直してみる必要性があるなと感じた。
罪悪感を持ちながらの「お願い」。
これが私の中で、最も大きな要因であった。
気付いたきっかけはある人に言われた言葉。
「お願いされたことをやってお礼を言われても、なんか嬉しく思えない。」
そう、まさに「頼んでAさんが嫌な顔したら嫌だなあ。結局私が嫌な気持ちにもなりたくないし、自分でやるか」という、この私の思考。
「〜したら、Aさんに悪いよなあ」という、罪悪感を持ったお願い。
でもこのお願いスタンスって、自分を小さくさせて、ある意味安全な立場に立った上での「お願い」だ。
自分の発することで、物事が動くことの「恐怖」というか、「責任」というか。
そういったものから自分を守る。物事が動く現実の揺れに対して、自分が揺られないように。
そう、自分の発するもので「変わる」ことが、怖かったんだと思う。
自分の欲しいものに自信を持つ。
自分がやってほしいなら、発すればいい、堂々と。
だって自分は、その現実がほしいんだもん。
それだけで、理由は充分だし、そこに誰の許可もいらないし、「良い悪い」もない。
言葉を発して「できない」と言われたら、それだけ。嫌な顔をされても関係ない。
もしかしたら実際は「嫌」と思っていないかもしれない。「頼んでAさんが嫌な顔したら嫌だなあ。」と私が思いながらお願いしているから、そう見えてるだけかもしれない。
そもそも、『自分がされて嫌なことは、人にしない』という価値観を、ここで発揮することがナンセンスなのかも・・・。
だって自分は、その現実がほしいんだもん。
自分の欲しいものに、自信を持っていいんだよ。
欲しいものを欲しがって、いいんだよ。
受け取って、いいんだよ。
そんな言葉を、レストランで失敗して落ち込んでいた自分にかけてあげたくなった・・・。
元々の私流「お願い」思考回路だと
「結局ゆうちゃんは、その現実を見たいんか見たくないんか、どっちやねーん!」というツッコミがふってきそうな思考回路である。書きながら、そう思った。笑
この罪悪感、必要ないですね。
これからは気持ち良く、さっぱりとお願いしていってみようと思います。
この現実、欲しい!→「これ、してくれる?」
相手からのYESな現実もNOな現実も、受け止めます^^
この記事へのコメントはありません。