親の罪悪感と子どもの罪悪感

 

 

子どもが学校に行かなくなったときに

襲ってくる罪悪感。

 

わたしの場合は

罪悪感というより、敗北感でした。。。

 

学校に対しての申し訳なさや

隠れたくなるような気持ち。

 

わたし、何やってるんだろうっていう

無力感も。

 

めちゃくちゃありました。

 

学校は行って当然という常識を

強く強く持っていて

 

スタンダードに合わせられない

そんな子に育ててしまった、、、という

罪悪感なのかな。。。

 

子育て失敗したって思ってしまって。。。

 

そんな頃がありました。

 

☆ ☆ ☆

 

最近、

罪悪感は愛でできているって

聞いたんです。

 

私には、罪悪感が愛というのが

よく分からなくて

不登校の中1の娘に聞きました。

 

罪悪感は愛なんだって。意味わかる?

お母さん分からへんねんけど。

 

わかるよ。

罪悪感は愛やと思う。(即答)

 

なんで?

 

なんでって、、、

自分が学校行かないことで

こんなに悲しませてごめんねって、

思うわけやん。

それが罪悪感やから。

なんでそう思うかっていうと、

大好きやからやん。大事やからやん。

それは愛やろ?

 

そう言われて・・・涙がでた。

本当にそうだ。

 

親の持つ罪悪感は社会に対してだけど

子どもの持つ罪悪感は

お母さんに対してなんだ。。。

 

 

悲しませてごめんねって

苦しむんだ。。。

 

だからこそ、お母さんは明るくいよう!!

 

明るく過ごす不登校のお母さんが

どんどん増えるといい。

そう思った。

 

 

そうしたら、子どもたちが

ごめんねって苦しまなくて

よくなるから。

 

☆ ☆ ☆

 

わたしと娘と不登校のことを

少しだけ。。。

 

わたしは、2年前に不登校の罪悪感を

手放しました。

 

今、中1の娘は

2年前の小5のときに

登校前に腹痛に襲われるようになり

学校から足が遠のきました。

 

そして、自分に合った

学校との付き合い方を模索し、

学校とフリースクール、両方に通う、

という選択をしました。

 

週のうち1~2日は学校。

1~2日はフリースクール。

1~2日は家。

というフレキシブルな生活です。

 

その生活を選んだ時に

わたしは、罪悪感を捨てたんです。

 

堂々としていようって。

 

自分の教育環境を小5で選ぶなんて

娘は最先端で独創的で決断力がある!!!

 

学校に毎日行っていない

= かわいそう

 

と見られることは

たくさんあるだろうけれど、

 

自分たちとしては

全然かわいそうとは

思わない。

 

教育の多様化を

実践している自分たち

位置づけできました。

 

2年たった今、

フリースクールには行かず

学校にもほとんど行かず

ほとんどの日を家で過ごす娘です。

 

でも、そこに罪悪感がないので

とても自由で余裕のある生活に見えます。

 

学習は、やらされるものではなく

学びたくてするもの、という

価値観があるので

 

余裕のある毎日の中で

定期テストの範囲に合わせて

自分で学んでいます。

 

学校に行かないのは

ひとつの選択肢です。

 

行かないことに

罪悪感がなくなると

 

これからの未来を

主体的にどう生きていくか

シンプルに考えやすくなると思います。

 

親が罪悪感を手放すと

学校に行っていない子どもが

「こんな自分でごめんなさい」って

思わなくてよくなる。

 

ごめんなさい、でいっぱいの頭の中から

ごめんなさい、を消せるんです。

 

不登校の罪悪感を手放すことは

人生をあきらめるのとは違います。

 

むしろ反対なのです。

 

自分はどう生きるか?

考えることになるので

人生が輝きだすのです。

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岩本真弓

岩本真弓

岩本 真弓(いわもと まゆみ) / Mayumi Iwamoto 個々の好きが全体に活かされている社会。 子どもたちがみんな幸せな社会。 自分らしさがかけ合わさることで輝きを増す社会。 そんなミライを創りたくて活動しています。

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