親の孤独は優しい世の中で包めばいい

孤独を感じているお母さんは
怖がりなんだと思う。

責められるのが怖くて
いいお母さんのイメージを守るために
繕ってしまうから、孤独。

それは過去のわたし自身です。

~☆~☆~☆~

私には、
あれは虐待だったと
しこりの残る1日があります。

今、中1の次女が
まだ小学校1年生で
最も荒れていたころ。

転校した先の先生と合わず、
学校がイヤで
宿題がイヤで
苦しい毎日を送っていたころ。

そのころの私は、
いいお母さんであろうとしていた。

学校に、ダメなお母さんと
思われないように。

子育てが下手なお母さんと
思われないように。

ちゃんとしたお母さんで
あろうとしていた。

毎朝の登校しぶり。

絶対に不登校にはするまいと
心に誓い、

むりやり玄関から押し出し、
鍵を閉める。

いくら泣いても
絶対に開けない。

毎朝の攻防はすさまじく
へとへとだった。

 

帰ってからは、宿題に苦戦。

宿題に時間がかかって
困っているんですと、
先生に相談したときに、

能力がある子はすぐ
できているんですけれどもね、

と言われた一言が悔しくて
涙がでた。

目の前には
宿題がイヤでイヤで
パニックを起こすわが子。

そんな毎日だった。

それでも
つきっきりで宿題を終わらせて

ランドセルの用意を
していたときだったと思う。

きっかけは、
どうでもいいようなこと。

ほんのささいな一言で
わたしはキレた。

「こいつ、バカにしやがって」と。

「適当なこと言ってごまかしやがって」と。
強烈な、本当に強烈な
怒りが沸いて

落ちていたピアニカのホースを
投げつけた。

「私を苦しめるために
やっているに違いない」と思え

倒れてしまうくらいの
強い力で

何度も何度も
彼女をたたいた。

「いいかげんにしてよ!!!」

頭部をガードする
うでの横から 何度も。

止まらなかった。

・・・

幸いケガはなかった。
しばらくして、
隣に住む
だんなさんのお母さんが
訪ねてきた。

ちょっと前に、
子どもの泣き声と
パンパンパンパンっていう
大きな音が聞こえてきたけど、

何かをたたいたの?
大丈夫?

大丈夫じゃないです。
それ、わたしが次女を
たたいた音です。

そう言って泣いた。

~☆~☆~☆~

「虐待」という言葉は嫌い。

あまりにも、
冷たい言葉だと思うから。

「いいお母さん」という言葉が嫌い。

がんじがらめに縛られるように
思うから。

どう見られるかを
気にしていなければ

悩まなくていいこと
だったのじゃないかと
今は思う。

そのままのわが子の姿を
受け入れていれば
焦らなくても
よかったんじゃないかと思う。

引っ越してきたばかりで
友もなく
夫も忙しく
ひとりで抱えて

決して責めない
だんなさんのお母さんが
寄り添ってくれたことが
救いだった。

ひどい暴力は
その日だけだった。

これはヤバいと
踏みとどまれたから
よかったけど

続いていたら大変だった。

 

虐待は特別なことじゃない。

ものすごい
ストレスの中にあっても
ストレスに感じないくらい
自分の枠を広げていくことも大事。

でも、無理なとき
ムリって言えること。

やり方が悪くても
隠さなくていいように、
責めずにいてくれること。

その存在の大切さ。

ひとりで抱えなきゃいけない
環境こそが問題で、

ひとりで抱えてたら
そりゃそうなるよ、
誰でもそうなるよ、って

あたたかく包めるような
そんな世の中になったらいい。

安心してさらけ出せる、
ふわっと包める
そんな世の中になればいい。

そう思います。

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岩本真弓

岩本真弓

岩本 真弓(いわもと まゆみ) / Mayumi Iwamoto 個々の好きが全体に活かされている社会。 子どもたちがみんな幸せな社会。 自分らしさがかけ合わさることで輝きを増す社会。 そんなミライを創りたくて活動しています。

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