お互いを認め合う。それがみんな違って、みんないい。

私たちが、一人一人違うってことには、意味がある。
違うものに興味があり、趣向が違い、感性が違う。

親子だったとしても
兄弟だったとして
双子だったとしても

みんな違う。

私たちは、生まれてくる前に、
自分の個性を「自分」で選んでくる。

その自分の個性を開花できる環境を
手伝ってくれそうな親を選んでいるはずだし、
今も、そう動いているはず。

自分の個性は、自分自身が決めた、
この世界での貢献方法なんだと、
私は思うんです。

世界は、誰かが創っている訳ではなく。
今、存在している「命」が全て繋がって、
1つの世界を創ってる。

それぞれ、みんな、役割が違う。
全員が違うからこそ、1つが保たれている。
それが、世界のつながり。

違うものが違うまま、存在し合う世界。
お互いを認めあうって、そういうことだと思う。

日本に流れている「和を尊ぶ」って、
本当は、こういうこと。

お互いを尊重し、あらゆる違う存在と共に、生きるってことを、
あたり前にしていた時代があるし、
日本人の魂の受け継いでいる精神なんじゃないかな。

だからこそ、私たちは、どこかでこの感覚を知っている。
教えられたわけじゃないのに、本当に調和されたものを見た時に、
「あぁ、これ・・」って、深い所で感じるものがあると思うんだ。

我慢して、自分を押し殺して、周りに合わせて、場を保つってことじゃないんです。

だから、こういうこと、あるでしょ?

自分以外の誰かとともにいる時、
自分は全く気がつかないものに、
一緒にいる人が気がつくってこと。

反対もあるよね。

自分は気がついているのに、
他の人が全く気がついていないってこと。

なんで気が付かないの?
鋭いとか、鈍感とか、
どっちが優れているとか、音っているとか、
実は、そうじゃないんだよ。

持っている役目が違うからこそ
日常で立っているアンテナ(センサー)が違う。
だから気がつくことが違うし、タイミングが違う。

1人が気がつけるのは、
全部のうちの、本当に一部

残りの部分はね、
他の人が気がついていたり、
持っていたりするんだよ。

みんな同じで、
同じことにしか気が付かないならば、
生き残れない。

みんな違うから、みんなが違うセンサーを持ち、生きているから、
結果的に、全体を保ってる。

だから。
自分のままの感性で、何かを感じた時、
それを大事に生きるって、すごく大事。

相手の感性に耳を傾け、
尊重しあうことで、
それが、「お互いを認め合うこと」ってこと。

世界は、みんなの違いと共に、未来へ向かってる。

私は、私である事。
あなたは、あなたである事。
みんな違って、みんないいんだよ。

The following two tabs change content below.
木村祐理

木村祐理

木村祐理(きむら ゆり) / Yuri Kimura /  自分であることが楽しくて、嬉しい。と、 あなたが、あなたでありがとう。が溢れた社会になるために、活動しています。

ABOUTこの記事をかいた人

木村祐理

木村祐理(きむら ゆり) / Yuri Kimura /  自分であることが楽しくて、嬉しい。と、 あなたが、あなたでありがとう。が溢れた社会になるために、活動しています。