海野 純子(うんの じゅんこ)/ Junko UNNO

◇自信がなかった私
小さいころから自分に自信がなく、
他人と比較してばかり…
好きなことがわからなくて、
周囲に振り回されて
さまよっている…
自分の価値観を押し付ける母親から
批判されないように、
母の顔色をうかがって過ごすことによって、
全ての人の顔色もうかがうようになり、
自分の気持ちを出せなくなっていきました。
(自分が親になってみて、親も完璧ではないことがわかりましたが・・)
そんな中、高校時代に、青年海外協力隊を知りました。
途上国で自分が役に立てるなんてすごい!
私もやってみたい!
と興味を持ちました。
しかし、
自分には海外で役立てるような専門も技術も知識もなく、
応募すらできず、
半ばあきらめて、時間だけが過ぎていきました。
そして30歳を目前にした時期、
大学1年から10年間お付き合いしていた方と婚約破棄しました。
その方が経営する会社を手伝っていたのですが、
頑張りすぎて、爆発してしまったのです。
ひとりになり、
ふっ と
青年海外協力隊に行きたかったことを思い出しました。
そうだ、挑戦するなら今だ!
しかし何の実績もありません。
応募するも、不合格の連続。。。
やっぱり素質がないからダメなんだ。。
自信がなくなりました。
でもなぜか、
あきらめることができなかったんです。
何としてでも行く!
と思っていました。
心理学を学んだり
インドへ行ったり
できることをいろいろやりました。
そして2年後、ついに合格!!
派遣先は、
西アフリカにあるブルキナファソで
期間は2年間。
現地は
心が豊かな人たちばかり。
毎日が感謝の連続でした。
そしてかわいいわが子を授けてくれる人との出会いもありました。
私は行かされて行ったんだ、と実感しました。
さらに、
あきらめないで挑戦し
アフリカへ飛んだ私をみて、
「自分も頑張ろうと思った」
「励まされた」
という声をたくさんの友人知人からもらいました。
自分が頑張ることが、周りに勇気を与えていただなんて・・
嬉しい(*^_^*) と思いました。
やりたいことを実現し、
人に勇気を与えた、
それによって
「自分を信じる私」になりました。


◇口べたな私
話をする事が苦手。
だから、いつも片隅で
小さくなって
いてもいなくてもわからない存在。
わたしってつまらない人間だと
思っていました。
よくしゃべって
まわりを楽しませている人が
羨ましいなーと
いつも思っていました。
しかし、ある日のこと。
話し上手な友達から
「純子ってすごい聴き上手だよねー。
だからどんどん話したくなっちゃうの。」
と言われたのです。
聴き上手なんて思ったことは一度もなかったので驚きました。
よく考えると、
口べただったがゆえ、人の話を聞くことがとても好きでした。
話をしてくれるのが嬉しくて、楽しくて
うんうん、そうなんだー
と一生懸命聞くようになっていたんです。
そのことに
友人の言葉によって気づかされました。
こうして
「口べたな私」は「聴き上手な私」となりました。

◇ミライへつなぐ私
私には息子がひとりいます。
彼が5歳の時、七五三のお参りで絵馬に
こう書きました。
「ちーたーになれますように」
(チーター)
2歳から走るのが大好き。
チーターは一番足が速い動物だから、
チーターが大好き。
だから自分もチーターになりたい、
という流れです。
「ボクはチーターになる!」
「でもなぁ~ チーターになったら
ジャングルへ行かなきゃいけなくて、
ママと離れちゃうから悲しいなー」
などというくらい本気でした(笑)
さすがに今は、
「チーターのように、
速く走れるようになる」
に変わっていますが
走るのが大好きには変わりありません。

「チーターになりたい!」
と言われたら真っ先にどう思うでしょう?
「無理ムリ、なれるわけないでしょ、動物なんだから・・」
なんて言いたくなりますよね(笑)
そうじゃないんです。
誰にも決められない。
本人が決めることなんです。
チーターになりたいんだねー
そう決めたらなれるよー!
そう言って、
誰もがわくわくを伸ばすことができる
そんなミライをつくること!
これが私の使命です。


海野 純子

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