学校に行きたくない②~理由はシンプルでした~

ある秋の日でした。娘が

「明日は学校へ行かない」と宣言しました。

 

それまでは、「行けない」だったのが

「行かない」になったのです。

 

担任の先生のことを

わたしと娘はとても好きでした。

 

澄み渡る青空のような先生です。

 

こんなにもいい先生に出会えて

大好きなのに、

学校が合わなくなるなんて

考えてもみませんでした。

 

学校に行きたくなくなるのは

先生との相性が悪いとか

クラスの雰囲気が悪いとか

なにか、そういう理由があるときに

起こるものだと思っていました。

 

だから、いい先生に恵まれて

いい友達にめぐまれて

それなのに、なぞの腹痛が起こるというのが

なんというか・・・

もうどうしようもないと感じました。

 

今になって思うと、

この心地よい人間関係の中だったからこそ

 

次女の素の部分が、無視できないくらい

素直に出てきたのではないか

とも感じています。

 

何が合わないかというと

学校制度そのもの、とでも

いうほかない。

 

月曜から金曜まで

毎日朝の8時から16時まで

8時間の学校生活。

 

何をどんな風に学ぶかは

全て決められ、

基本的に指示に従う生活。

 

任されていることは

短い時間の中の小さな枠の中。

 

学校制度は、得たい結果に対して

とても自由度が低い。

 

そんなことを理屈で

考えているわけではないだろうけれど

なんとなく肌に合わない、と感じていた。

 

その心の声が

自分を尊重する心が育つ中で

大きくなってきたんだろうと

私は思っています。

 

 

学校に行くのが

当たり前ではなくなり

考るようになりました。

 

そもそも

こんなにも自分がしがみついている

学校って何なんだろう?と。

 

学校とは何のためにあるのか。

学ぶとはどういうことか。

 

学ぶのは学校でないとできないのか。

なぜ、行かないことで

こんなにも不安になるのか。

 

わたしは何にとらわれているのか。

 

そうやって、考え続けて見えてきたのは

学校、行かなくても大丈夫なんじゃない?

ということでした。

 

学校に行かないなんてありえない!!!

不登校なんてありえない!!!

だって、子どもは学校に行くことになってる!!!

そういうもんだから!!!

 

そんな考えのわたしのもとに

学校の枠が合わない娘が生まれたことが

運命的だな~とさえ思うのです。

 

行かそうとしても行かない。

説得しても動かない。

 

自分の無力さを受け入れるしかなく

うちひしがれる日々。

 

その中から得られたものは

新しい価値観と

学びを自主的なものにする機会でした。

 

学びたいことは、

いつでも

どこでも

どんな方法ででも学べる。

 

人とのコミュニケーションは

どんな場所でもとっていける。

 

学校に行かなくなることは

人生の終わりのはじまりだと

信じて疑わなかったけれど

 

自分の頭で考えつくしたら

そんなことないと分かった!

 

学校は行かなくても大丈夫。

 

檻のように頑丈にできていた

枠が壊れました。

 

このとき、わたしは腹をくくったと思います。

堂々といることを決めました。

恥じないことを決めました。

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岩本真弓

岩本真弓

岩本 真弓(いわもと まゆみ) / Mayumi Iwamoto 個々の好きが全体に活かされている社会。 子どもたちがみんな幸せな社会。 自分らしさがかけ合わさることで輝きを増す社会。 そんなミライを創りたくて活動しています。

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