どこにある情報も「ただの情報」でしかなく、選ぶ主導権は自分にある。

から騒ぎに惑わされると、自分の心がわからなくなります。

なんども同じことを言われたりすることに慣れると、あたかもそれが、自分の中から出てきたことだと勘違いをして、その考え方を採用することになるのです。

 

周りが騒いでいるときは、じっと冷静に、自分の中だけを感じてみることが大切です。

 

自分の中だけに集中していれば、騒いでいることに飲まれることはありませんし、いろんな意見の対立も冷静に見ることができます。

それは、どの意見も尊重でき、自分でどの意見が自分の楽しさにつながっているか判断できるからです。

 

どんなに権威があっても、どんなに信用があるように見えても、逆に、信用がないように見えても、情報は変わりません。

テレビの情報も、このブログの情報も、ラジオの情報も、井戸端会議でおばあちゃん達が話していることも、全て「情報」ということは変わりないのです。

 

でも、なぜ、

そこに信じる・信じないという概念が生まれるのか。

 

同じ情報というものにも関わらず、テレビなどのマスメディアなどの情報は信用でき、大企業の情報は信用でき、個人の書いているブログやネットの情報は信用できないという価値観があるのか。

 

どこにある情報でも、信用するもしないも自由です。

信じることも、信じないことも、自由。

 

だったら、自分の心が楽になる情報を使えばいいと思います。

それがテレビだろうが、ネットだろうが関係ありません。

 

テレビだから信じる。

ネットだから信じない。

逆も然りで、テレビは信じない、ネットは信じる。

 

そうではありません。

それはあまりにも盲目的すぎます。

 

情報というものは変わらないのだから、自分の体が感じるふわっとしたものを信じればいいと思うのです。

 

その体の反応を知っていれば、情報自体に右往左往しなくてよくなります。

自分が「これだ」と信じた情報を使って、いくらでも楽しく生きていけることを知っていれば、どこから得た情報でも、自分の楽しさにつなげていくことができるのです。

 

そして、その情報というものも、必要だから見ているし、必要だから目の前に現れているということがわかります。

見たくない情報ばかりが目の前に出てくることは、見たくないと思っているから(そこに興味があるから)、目の前に現れるだけなのです。

 

全ての主導権は、自分にあります。

それを思い出すことができれば、自分の目の前がメリットだらけだと気がつけるのです。

 

すると、新しい発見だらけになっていきます。

だから、進んでいく過程が楽しくなっていくのです。

 

「楽しい」というのは、体験してい間に感じるものではありません。

例えば、絵を描いていて、描いている間は「楽しい」ではなく、夢中になって筆を走らせていると思います。

 

「今の私は楽しい!」

なんて、いちいち思うことはないはずです。

 

絵を描き終わったという結果を手にした時に、楽しかったかどうかがわかります。

もしかすると、描き終わった後に楽しくないと思うかもしれないのです。

 

ということは、楽しいことを探しても、見つかることはありません。

それこそ、いくら情報で「こんな楽しい世界がありますよ」と言われても、それが自分にとって楽しいかどうかなんて、やってみないとわからないのです。

 

テレビで、「こんなに美味しい食べ物があります」と言われても、それを実際に食べないことには、本当に美味しかどうかなんてわかりっこないんです。

ブログで紹介されている食べ物も同じです。

 

そして、「美味しい」という前情報を頼りに食べ物を食べるから、美味しくなくても美味しく感じることもあります。

味はまあまあだったとしても、周りが美味しいというから美味しいとなるんです。

 

それ自体が、自分の感じていることを放棄していることに気がついてください。

体験して楽しくないんだったら、美味しくないんだったら、それが自分にとっての真実の情報です。

 

世の中や周りの喧騒に自分の感覚を書き換えるということは、

いつまでも自分の感じている本当のことには気が付けません。

 

たった1つのお店の料理の味。

それくらいで、変わるのかというと、変わるんです。

 

たった1つではありません。

たった1つが、自分の次の現実を作ることを知っていれば、たった1つだなんて思わないことだと思います。

 

小さなことだとしても、影響はあります。

だから、小さなことから自分の感じたことを信じるという行動に変えれば、自分の感覚を信じられるようになっていくと言えるのです。

 

自分の外に主導権があるように見えても、周りがどんなに騒いでも、最後の主導権は自分にあります。

どんな情報であっても、それが自分にとって楽しい気持ちになるのであれば、それを信じてみてください。

 

些細なことでも、小さなことでも、それが自分にとってどうなのか。

(周りは関係ありません。)

それを感じ、進んでいくことができれば、振り返った時に「楽しかった」と思えるはずです。

 

小さな変化や、小さな出来事、小さな感覚。

それらを見つけたり感じたりすることが楽しくなっていけば、毎日が新鮮で、心がフワッとする毎日になっていきますよ。

 

そんなことに考えを巡らせたきっかけは、昨日この映画を見たからです。

ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります(字幕版)


から騒ぎに疲れて、心に余裕がなくなるくらいなら、全部やめちゃえばいいんです。

結局、必要なものは揃っているんですから。

 

気分を変えたり、今の現状を客観視できるのが映画の面白さですね。

 

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今西 史樹
BEC株式会社 代表取締役【経歴】▶︎「人生をクリエイトする。(月4万PV)」の運営。▶︎ブログ運営4年経過▶︎波動関連のサービス運営●波動のような目に見えないものが面白くて研究してます●兵庫県出身のウォーキング/サウナ/温泉/食べること/電車好きです。