自分の本音を全身で表現してみたらいい

2017/02/17
 
この記事を書いている人 - WRITER -
木村 祐理
「子どもたちが魅せる奇跡だらけの世界」を届けるべく色んな場所で活動。子どもの幸福度、底上げ実践!をしつつ、自分らしい生き方実践中♪
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「ケンカを見守る」

これが、今の親世代には難しいことなんじゃないのかな。
自分たちが小さなころ、相手と本音でぶつかり合うこと。
伝えきること!を許された人は、大丈夫かもしれなけれど。

 

多くの人が、相手に本音を伝えようとしたときに、
たしなめられ、つめられて、言葉をかえられてしまう。

そんな積み重ねで育ってきたんじゃないのかしら。

子供達に、
今日ケンカしてたね!というと。
たいがい「けんかなんてしてないよ」とかえってくる。

ただ、意見があわなかっただけ。
いいあいしてただけ。

そう言う子どもたち。

けんかってひとくくりにするけれど、
そのすべては「コミュニケーション」でしかない。

始まりは必ず。
「自分のことを言葉で、または行為を通じて伝える!」
ってことから始まっている。

それが受け止め愛の中で、伝わったり、理解できれば、収束するし。
平行線になれば、お手上げ状態で、崩壊する。

でも。
小さな子供達であれば、
ほとんど手を出さなくても。
何があったかだけを一緒にみれたら。

自分を感じ、相手を感じ、場を感じて。

その時、一番ふさわしい行動をしていくのです。

大人からみたら、ふさわしくない!と思えることかもしれないけれど、
子どもたちの今は、ふさわしい。

力関係や年齢の差があったとしても。
きちんと向かい合えていたら、安全な場であれば。

子どもたちは、絶妙な力加減でぶつかり合う。

ねぇ?大丈夫なの?と心配してくれる大人はたくさんいる。

子どもたちの世界に立ち会っていると、
心配するということは不要だと教えてくれる。

もちろん、しっかり見届けたり、見守ったりすることはするけれど。
大人が思っているほど、子どもたちは弱くないし、横暴ではない。
いろんなことを考えていて、感じていて。
きちんと自分の意思で、何かを選んでいる。
たとえ3歳でも同じ。
とても聡明に、いろんなことを理解していく。

アブなかっかしく見えるけれど、
きちんと自分が扱えるようになっていくために、
目の前の人間を通じて、全身で学んでいる。
彼らの日常に、学び以外のものは存在していないんだと思う。

それが、体験できずに、
途中で誰かに取り上げられてしまった体験ばかりが積み重なっている大人たち。
自分で人と関わりきった体験をしたことが少ないまま、

大人になってしまった人たちにとっては、
恐れでしかない出来事かもしれないけれど。

 

そして、その恐れを、あなたが持っていたら、

目の前の現実は、間違えなくあなたが描いた通りの出来事になる。

 

そして、そのまま目の前の子どもに「人とぶつかることは怖い事」っていう

感性を渡す。

知らず知らずにだけどね。

 

子供達を心配するのではなく、
ぐっと我慢して、居合わせてみたらいい。

同じ時間、自分が何を感じ、何にひっぱられ、何に困惑させられ、何に恐れを感じ、どうなるのか。
何度も、何度も。

そうした先に、「自分」が見えてくる。

そこが、自分から剥がれていった先に、

「本音を全身で表現して、目の前の人と繋がること」が、
どんなことかが、見えてくるはずだから。

 

わたしはね。

そのぶつかりあいから、力が消えた時。

 

はじめて。

人と人が、互いを感じながら自分を伝え合い、

相手に耳を傾けて、

お互いを大事にしあう「対話」が生まれると思っています。

 

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