どうしていままで学校へ行かなかったんだろう・・

「どうして、僕はいままで学校へ行かなかったんだろう・・」
昨年度末、長男が言った一言。
クラス替えなんか、無かったらいいのに。
クラス全員と、また同じクラスになれたらいいのに。
ずっと、4年〇組がよかったな。
5年生、楽しみだな!
誰と同じクラスになるかな、先生誰かな?
そんな思いを持って、
はやく学校がはじまることを願っている。
1年前。
学校なんていかない。
したいことをすればいいって言われている。
だから、勉強もしたいときにする。
そう言い切った子どもたちの前に、私は壁になると決めた4月。
「違うことは、違う。間違っていることは、間違っている」
どれだけ言葉でいったって、
腑に落ちるわけもない。
だから、学校という場所に行きながら、
「あらゆる自分」を確かめてくるように、
行きたくないという子どもを、学校へ送った。
学校を通じて、
・自分のやることは何か
・学校とはどういう場所か
・勉強するってどういうことか
・学校で得られるものは何か
・学校で失うものは何か
・学校へ行かないという選択をする=「私は、学校以外の場所で学ぶべきものを自分(親)の責任で学びます」について、あなたは、どう考えるのか。
・あなたがやりたいことは、何なのか
・あなたが欲しいものは、何なのか
自分がやりたいことだけやるんだ!
って、言っているけれど、何の説得力もありません。
誰かの言葉なのかもしれないけれど、
あなたの言葉じゃない。
自分の考え、やりたいこと、気持ち、環境。
自分がどうしたいのか、どこで何を学び、どう過ごしていきたいのかを、
違う環境で、違う人間関係にふれながら、考えたほうがいい。
この1年、簡単に言葉にできない1年だった。
子どもを尊重する、子どもに決めさせる、
学校なんていなかくてもいい、好きなことで学べばいい。
私は、この空気を間違えなく作った立場。
我が子には、全力でストップをかけた。
この1年、向き合い続けて、何度も何度も対話して、何度も何度も一緒に考えた。
自分がコーチでよかったと、心の底から思ったことが何度もあった。
自分の専門性が、この1年の歩みを支えてくれた。
その歩みのすべてに、
生きる力って何なのよってことが詰まっていたって思う。
今、学校に行かないという選択をする子どもは、大きく2つにわけられる。
本人は学校へ行きたいけれど、心や体の安全性が保てずに行けなくなってしまった(不登校)
本人の意思で学校へ行きたくないという選択をしている(登校拒否)
※やりたいことができない、窮屈、つまんない、勉強する意味がわからない、学校なんていかなくていいって言葉を信じてるなどなど・・・
不登校の状況は、おいておいて。
「登校拒否」に関しては、これからしっかり考えたほうが、いいと個人的に思う。
登校拒否になる場合、子どもの何かだけではなく、親の何かが影響して、学校へ行かない選択肢をとっている場合があるから。
特に、初等教育・中等教育の年齢の子ども達、その親御さんは、
(義務教育課程の学びは、大事です。とても。)
・学校とは、どういう場所なのか
・学校へ行かないということは、何を選ぶものなのか
・勉強とは何か
・子どもと大人の違いとは何か
・社会とはなのか
学校へ行かないという選択をするならば、
そのすべてを、子どもと自分(親)で考え、実践し、修了します(させます)。
それができるならば、
学校へ行くことにこだわる必要もないし、
それらを実践するほかの方法や場所に通学すればいい。
ホームスクーリングが存在する国は、
明確にホームスクーリングの基準やルールがあります。
そのためにいくつもの手続きなどもあります。
なんでも、いいわけじゃ、ない。
日本は、この基準が不透明です。
学校はすべてじゃない、
でも、学校を軽視しちゃいけない。
勉強はすべてじゃない。
でも、勉強を軽視しちゃいけない。
休校が続く中、
あらためて、子ども達が学ぶこと、学校という場所、
教育って何のためにあるのか。
問いが生まれていたらいいなと思います。
▼お話会では、一緒に考える機会になればと思っています^^
“教育”のお話会します。~子育て・進路・学校・勉強・子どもの未来について~