なにかに、なろうとしていない?
なろうとしなくて、いいんだよ。
あなたは、あなたのままで、いいんだよ。
「なろうとする。」
それは同時に、今の自分を否定していることになっているとも考えられます。
私は小さい頃から、
「なにかしないと。」
と思って行動していました。
「なにかしないと。」というのも、「役割を果たさなきゃ。」と。
クラスの中や数人の友達の中で、存在意義のあるメンバーになるために・・・。
家では、お手伝いをしてお母さんが笑顔になれるような、そんな存在意義のあるメンバーになるために・・・。
たまーに行くおばあちゃんの家では、いとこの中でも唯一の女の子であるから、おばあちゃんやお母さんたちのお手伝いをして、成長を喜んで褒めてもらえる・・・。そんな存在意義のあるメンバーになるために・・・。
その時はそれが私の喜びであり、
エネルギー源であり、
やりがいであり、
「普通なこと」でした。
だから、いいんです。
それはそれで、いいんです。
ノープロブレム。
ただ、たーまある
自分の中の「なにか」が爆発するとき。
これの原因は一体なんなんだろう?と考えたときに
一つ原因として、フッと自分の中に出てきた。
なにかになろうとしていない?
あなたは、あなたのままで、いいんだよ。
そんな言葉というか
温かい考えが湧き出てきたときに、
昔の自分の体験がドッヒャーと出てきた。
そうか、そうだったんだね。
なんか、頑張ってたんだね。
無意識に、頑張っていた。
無意識というか・・・
きっといわゆる「自己肯定感の低い」状態だったんだと思うんです。
だから、頑張っていたんだと思う。
ワクワクのこもった「なにかになろうとする」じゃなくて、自分を守るための「なにかになろうとする」だった。
「自分を守る」ということは・・・”今の自分じゃ、認められない。”そう勝手に自分で思っていたからだと思うのです。
だからこそ昔、数人の集まりの中で、”役割を果たさない”人を見てイライラしていたんだ。
なんで笑ってるだけなんよ。
なんでなんも喋らんのよ。
なんでついてきてるだけなんよ。
なんで一緒にいるんよ。
そう思う時が、正直あった。でもその言葉たちって、自分自身にもシャワーのように浴びていたんだ。いや、シャワーどころか、どっぷり自己否定の湯船に浸かっていたんだ。
そんな自分に、気がついた瞬間。
あなたは、あなたのままで、いいんだよ。
この言葉。
この理解。
私の中で浸透していくのが、わかりました。
そうだよね。
そうだよね。
なんどもつぶやいて、
ウンウンってうなづいて、
私は、私のままで、いるね。
そう、宣言したのです。
存在意義を示さなくても、大丈夫。
あなたは、あなたのままで、いいんだよ。
私の、この雪解けの瞬間。
今の自分の気持ちを、記しておこう。
そして、誰か同じような”頑張っている人”に「大丈夫だよ」ってこの雪解けが伝染すると、いいなって思う。
大丈夫だよ、もっと気楽にいきましょう^^♪
この記事へのコメントはありません。