私たち大人って、どうも「嫌。」って言うことができない、伝えることができない・・・。
「まあ、ちょっとくらいいっか。」ってなって、「いいよ^^」って言ってしまう。
でもだからこそ、「我慢」が発生するし、イヤ〜な空気になったりするし。
なんで、こんなに「嫌」って言えないんだろう????
ほんで厄介なもので、自分的には「我慢」って、思っていないこともあります。「まあ、これくらい」ってくらいの”小さいもの”なので、「我慢」なんてそんな大それたものじゃない。って、私は思っていました。でも、よくよく、自分の中を見てみると、我慢は我慢なんですよね。
その「まあ、ちょっとくらいいっか。」って、そもそも何??って考えた時に、
この気持ちは、「妥協」であり、「我慢」であったのです。
でも不思議なものです。
自分の嫌なことを表現することって、今までしてこなかったことです。
だって、『嫌なことを我慢してでもやりなさい』っという環境にずっといたから。
「我慢」することにしかなれることのできない環境だったから。
自分の「嫌」を表現することがなかったから・・・。
そう思うと、小さい時にある反抗期?とかイヤイヤ期って、小さい子なりの「嫌」の表現方法なのかな。「嫌なものは嫌。これがしたい。」その表現方法が、泣けわめいたり、暴れてみたり。でも、その時に「何が嫌なの?」とかっていう『対話』という表現方法もあるわけです。気持ちを態度で表現することもできますが、言葉で気持ちを表現することもできるのです、人間って。それを練習していくきっかけが、いわゆる「イヤイヤ期」なのかな?と、思います。
でも、私の記憶では「イヤイヤ言わないのっ!!」とか、イヤイヤ泣きわめいている妹を叱っているor放っておくお母さんの姿が、記憶に残っています。
そして何より、「嫌」を言わずに何かを我慢しているお母さんの姿を、見てきました。
今、自分が大人になって、「嫌」なことを表現することにもどかしさを感じる時があります。
「嫌」の表現方法を、選んでみる。
でも、私は、楽しく生きたい。
じゃあ、そのためにどうすればいいか??????
自分の「嫌」なことを、言葉で伝えることが、とっても大切だなと感じています。というか、言葉で表現することが苦手だなあと思っているので(笑)どうしても感情がそのまま言葉に乗ってしまったり、イヤ〜な空気を放出してしまう時が多々あります。
でも、「嫌」なことをきちんと言葉で、なんの感情も乗せることなく、「私はこれが嫌だったんだよね」と伝えることができた時、「じゃあどうするか?」「じゃあ、どうしていくか?」という建設的なアイディアを出し合うことができるのです。(感情が乗ってたら、「ケンカ」で終わってしまう(汗)それは私は嫌です。)
すると、次から自分の「嫌」がなくなっていきます。そう、私は「嫌」なことをを解消していく方法を、知ったのです!!
今までは、「嫌」を態度だけで表現して、それでスッキリした気分になっていた節もあったように思います。
でも、それでは同じことの繰り返しになってしまいます。私は、その現実は、嫌です。
だから、言葉できちんと表現して、対話して、未来ある現実を創っていく。
それを日々、意識していきます^^
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