西加奈子さんの『うつくしい人』を読みました。
まず突然ですが、
私の好きな言葉たちに、またまた出逢ってしまいました。
「そうそう、そうなんよ。まさに、それなんですよ。」
ツボを押してもらった気分です。「あ〜〜〜、そこそこ!」みたいな。
西さん、ありがとうございます、今まで私が言葉に表現できなかったキモチを言葉にしていただいて。
ホント、ますます西さんと”お友達”になりたくなってきた。笑
「わかります、わかります!そのキモチ!!」とか、
「そんなキモチになるんですね〜、おもしろいですぅ。」とか。
共感とか、気づきとか、自分の心躍る時間を共有してみたいな〜
なんちて、勝手に妄想していました。笑
でも、この勝手な妄想でも楽しんでいた自分がおりました。
ごちそうさまです。
私の好きなシーン。
「小さな頃、私はよく泣いた。
何か原因があるわけでもなく、何でもないときに、急に泣き出した。両親は、理由を聞いても何も言わず、一向に泣き止まない私を困ったように見るだけだったが、姉は違った。
『ゆりちゃんが満タンになった。』
そう言って、私が一番してほしいこと、手をぎゅうっと握ることや、甘い飴をくれることや、髪の生え際を強く撫でること、をしてくれた。姉にそうしてもらうと、私は安心して、いつまでも泣くことができた。
・・・・
姉の美しさを決めたのは、私の卑屈な心だ。姉が私に「自分は汚い」と思わせていたのではない。姉は、ただそこにいただけだった。ただ、私の、「姉」だった。そして今も、彼女は、私の姉だ。それだけだ。」
西加奈子著『うつくしい人』より
それを決めているのは、自分。
そう見ているのも、自分。
そして、自分を縛っているのも、自分。
すべて、自分。
結局、自分。
誰かのせいとか、ない。
原因は「誰か」じゃない。
でも、誰かのせいにしている状態が自分自身だと思っていたら、本当の「自分」が主張してくる。いや、”主張してくる”というよりも、”主張せざるおえない”のかもしれない。
なぜなら、そのままの状態でいたら、「自分」が消えてしまうから。
「自分」が知らない間に小さな箱に押し込められ、苦しくて、でもなぜ苦しいのかの自覚がなくて。どうしようもなくて。どうしたらいいのかが、わからなくて。
だから、とりあえず、「自分」を溢れさせるんだ。「この箱は、小さすぎるよ〜」ってわかってもらうために。
だから、涙が溢れてくるのかもしれない。
その涙は、溢れさせる必要がある。押し入れちゃダメだ。
それが「自分」だから。
『うつくしい人』 西加奈子著
AmazonでもGETできます^^是非読んでみてくださ〜い♪⇒【Amazon購入サイトはこちら】
この記事へのコメントはありません。