テレビを見る機会があって(うちにはテレビがないのです)、たまたま連続して思うことがあった。それが「節約」について。
「一人で住むなら狭い部屋で十分だ」とか、ダンボールで寝てみると意外と楽に寝れるとか…。
「そーなんだ〜」と関心?興味がむくと同時に「ホンマ??」と思う。
この「そーなんだ〜」と関心を持つ自分にも、ふと我に返ると不思議な感覚にもなった。きっと、テレビのレポーターさんとかから出てくるコメントの言葉に刺激された結果だったのでしょう、きっと。誰かが「これいいよ〜」という反応をすると「どれどれ?」と自分もその「いい」体験をしてみたくなるような、そんな感じ。これって、人間の本能なのだろうか。
まあいいや。とにかく、このテレビでみた「一人で住むなら狭い部屋で十分だ」とか、ダンボールで寝てみると意外と楽に寝れるとか…。これって、実は我慢なんじゃないかと思ったのです。本人に直接話を聞いてないし、反応や雰囲気はテレビ越しにかわからないから断言できないけれど、「〜で十分」とかって、我慢だと思うのです。小さな我慢が隠れてる。だって、本当にやりたいことだったら「十分」という言葉ってそもそも出てこないと思うのです。「これで十分」って「これでいいや」ってことですよね。「これがいい」の言葉と、「これでいい」。自分から出てくるエネルギーというか、気持ちというか、それが全然違う。そのテレビで話ていた人も、「本当は広い部屋で過ごしたいけれど、今はそれは無理だから、この部屋で快適に暮らす!」という感じではなかったし。だから、「これがいい」できっと選んでないよな…。
そうなると、自分のやりたいことや本当の気持ち、本音をどんどん言いにくくなる。「言いにくくなる」というのも、周りの人に対して言いにくいとかじゃなくて、自分自身から表現をすることができなくなってしまう。そんな身体の動き方に慣れてしまうような…。
本音を言いにくくなる。これは自分のやりたいこともそうだけれど、自分が嫌だと思っていることもそう。なんせ、「自分の思っていること」すべて。この状態で、果たしてホンマにその狭い部屋での生活が楽しくで充実したものになるのだろうか?どんな生活を送っていきたいんだろうか?
そう思うと、めーっちゃ小さな出来事から大きな出来事まで、自分の中の価値観で、自分でどうするのかを選んで生きているんやなあと、しみじみ感じたのでありました。
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