情報の扱い方。
今の時代、いろんな情報で溢れかえっている。
「健康には〇〇がいいよ!」とか、
「こういう時にはこうしましょう!」とか・・・。
自分で、いろんな情報を仕入れることが
いとも簡単にできます。
その”便利さ”、とっても嬉しい、ほんと。
だって、
いつでも
自分で
チョチョイっとキーワードさえ浮かんでいたら
求めていた情報に出会うことができるから。
でもこの”便利さ”って、
自分のアンテナを試される現象とも言える。
自分のスタンスが試される現象とも言える。
私の話。
手の痒みがちょっとレベルアップしてきた気がしたもんで、
ネットで情報を調べて、2、3このアイディアを試してみた。
それこそ、「こういう時にはこれがいい!」みたいな感じの情報たちを。
もちろん、「人によって差はありますよ」という注意書きも承知の上で
それらの情報を自分の中に取り入れ、生活を送っていた。
でも、痒みの調子がどうも安定しない。
「こんなはずじゃなかったのにーっ!!」とか
「こういう時にはこれがいいって、言ってたのにー!!」とか、
そんなフレーズがポロポロポーンと出てくる。
でもでも、
よくよくこういった事態を考えた時に、
ふと冷静に考えてみると・・・。
情報は、情報でしかない。
その「存在感」というか、「責任」というか、
そういったことを、忘れていた。
そう、情報は、情報なのだ。
自分で試してみるにしても、
なんだかいろんな「責任」をその情報にすべて託していた
自分の感覚があったなって、思った。
その情報を試してみた。
「ん〜、なんか微妙。」
そう思ったら、やめればいい。
ただそれだけだ。
そこに
「こんなはずじゃなかったのにーっ!!」とか
「こういう時にはこれがいいって、言ってたのにー!!」とか、
情報を”立体的”に見ていたが故の、
この振れ幅になるんじゃなかろうか。
そんなことを、思った経験だった。
情報をいつでも入手できる、この”便利”な世の中。
便利だからこそ、
情報を「扱う」自分自身のスタンス、
マジ大事。笑
そのスタンスによっては
自分で自分自身を攻撃し兼ねないな・・・。
まあ私の場合、身体の事だったから
余計にそんな事を思ったのかもしれないけど。
でも、身体の事でもどんな事でも
情報に関しては言える事なんじゃないかなと思う。
情報は「知識」として自分の中に入ってくる。
「自分の中に入ってくるもの」としては、
食べ物も情報も変わりないんじゃないかと思うのだ。
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