マリオカート、なんと素敵なゲームなんだろうか。
先日、私は車の運転をした。そう、私は”ペーパーゴールドドライバー”だ。
車の運転はかれこれ・・・5年ほどぶりだろうか。
いや、月日は本当に早い。
とか、そんなことを言うてる場合じゃない。
そもそもなぜ、再びハンドルを握ろうと思ったのか。
まず、「マリオカート」なるものとの出会い。
Wiiでマリオカートを始めて体験した。
ハンドルを持って左右に回す。しかし、どうもハンドルを切りすぎる。蛇行運転の連続。常に12位。ゴールできるのがやっと。
はて何ゲームやったのかな。64ゲームは確実にやった。
最初はずっと私はベビーマリオだったが、「ゴールが当たり前」になった時にはクッパになっていた。
こうやって、マリオカートで運転の疑似体験をした。つもり。
そして、きわめつけは「必要に迫られる」。
いつも運転をしてくれる相棒が倒れ、運転できるかできないかの危機到来。代行運転も考えた。
「ああ、こんな時、私が運転できたら・・・」
諦めともどかしさの気持ちの割合が、変化した。
そもそも変化する柔らかさが生じたのは、あの、マリオカートのおかげなんじゃないかと、今になって思う。
ゲームの世界とはいえ「私にも、運転できた。」という小さな自信を持つことができたのだ。
これは、大きいぞ。
侮れない、マリオカート。楽しいだけじゃないんだな。
ということで、
まずは家の周りを運転してみた。
操作すら、忘れている。
どれがエンジン?どうやってエンジンをかける?どの鏡を合わせるんだったっけ?どうやってアクセルとかを踏むんだったっけ?
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・・・ほんと、やらないと、忘れる。
でも人間不思議だ。
やっているうちに、なんとなく感覚を思い出してくる。
こんな感じでやってたな。ここを見ていたな。スピード感も、こんな感じだったな。
自分で思っていたよりも、落ち着いて運転することができた。と、思う。
でも、そんな自分にもびっくりだ。
何より隣に座ってくれた勇者。
最近免許を取得した”ピッカピカな方”だった。
眩しいくらい、輝いている。ペーパーゴールドの私より、確実に輝いております。
そう、ある意味、肝が座っている。
ある意味、ペーパーゴールドに近い感覚もあるからこそなのだろうか。
すごい、あの落ち着き様は。
その空気感のおかげもあって、第一回目のペーパー運転を無事に終えることができた。
私、生きてる。
私、運転できた。
静かだけど、確実に動いている。いつもより、大きく。
私の心臓も。私の現実も。
「・・・マリオカートがしたい。」
バーチャルの世界と現実の世界で、
私は”自分で動かす”感覚を知ったのだった。
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