先日、コンテンポラリーダンスの舞台を観る機会がありました。
みなさんはそういった舞台を観る機会ってありますか^ ^??
私の場合、舞台内容ももちろん面白く観るのですが、自分の状態を俯瞰することにも面白さを感じています。舞台に引き込まれて「わあキレイ」とかとか、研かれた技に「(*´∇`*)」ってなります。そして、そうなった自分をまた俯瞰するんです。
「そこが”キレイ”って思ったんだ〜」
みたいな。
自分の感動ポイントにも感動する、みたいな笑。そんな面白さを私は舞台観劇に感じています。
今回観た舞台は、いろんなジャンルのダンスを自由にとりいれて、身体で自由に表現ができるコンテンポラリーダンス。(一応、定義みたいなんを調べてみたんですけど、ハッキリされてないみたいなんです。とりあえず、”現代的なダンス”みたいな感じでした)
本当に、自由です。
そして自由だからこそ、その作品を作った人の世界の見方がハッキリ表れるもんだなぁと感じました。
その舞台は、ダンスと演劇を混ぜたような舞台で、舞台セットも映像を使っていて、より内容をドラマチックに創られていたように思います。
その舞台で表現されていたことは…
*「時間」とはなにか。
*「記憶」とはなにか。
*いま、私の見る景色は、なにか。
ダンサー、音楽、音、舞台装置など、舞台を創り出すものから、その世界や価値観が垣間見れます。「この人は、この世界をこういう風に見て、こう捉えてるんだなぁ」って。私でいうと、考えていることや感じたことを大多数の人たちに表現しようと思ったら、今はこのブログやSNSなどが表現の場です。そしてそこで文字として表現しています。その文字を読んだ方は、「ゆうちゃんは、こういう世界を見て、こういう捉え方をしてるんだなぁ」って感じると思うんです。
はたまた八百屋さんだったら、「これは素晴らしい出来のリンゴだっ!」って思った果物や野菜を”仕入れる”ということが店主の方なりの表現となり、それを見て私たちは惹かれるものがあったりします。「店主の方は、こういう世界を見てこういう風に捉えてるんだなあ」って。
…そんな感じです。笑←ズコッ
その舞台は、「時間」「景色」「記憶」などの価値観を客観的に見るものとなりました。だから、「失うことの怖れ」とか「有限なもの」ということを表現されていたのです。でも、私は「時間」とかをそういう風には捉えていなかったので、ある意味、新鮮な表現の舞台だったのです。「そういう捉え方もあるんだなぁ」って。
というような視点も持ちつつ、実は座席すぐ横のカメラ撮影が気になってましたf^_^;一眼レフかな?みたいなカメラで舞台の映像を撮っていて、「どういうカメラワークをして、どういう映像を撮っているのかな?」って。これはあれですね、最近あまり更新できていないYouTubeの影響ですねぇ。自分の興味がわかりやすいσ^_^;
ということで、舞台を見て私が感じたこと思ったことでしたー!
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