・・・約束の時間に、来ない。
あやつ、また遅刻か!!
あ〜、ほんまにもう・・・。
ムカつく。
腹立たしい。
不愉快。
私の貴重な時間を、あの人を待つために使うなんて。
相手への配慮がないよね、全く。
非常識だわあ、ほんま。
もう、こんな人とは付き合わないでおこう・・・。
これらの気持ちになると、とーってもしんどくなります、疲れます。
倦怠感というのか、だるーくなります。
でも、”そんなことで”疲れたくないですよね。
「”そんなこと”じゃないしー!!」って思うかもしれませんが・・・^^;
でもでも、
どうせ疲れるなら、楽しく疲れたいです。子どもが遊びまくって「あ〜今日も楽しかった〜疲れたわ〜」みたいな。その方が、寝たらすっきりするし。
ふと思ったのですが、
自分の気持ちのせいで疲れ、その状態で寝て起きても、
そういえばすっきりしないかも・・・。
そう思うと、「気持ち疲れ」って強烈だ。
はて、
そういう状態に、そういう気持ちに、
なりたいか?
なりたくないか?
「なりたくない。」
そう思うのなら、それ、自分が変われるチャンスです!!
まず、あらまし自分の気持ちを吐き出します。腹には収めないで!出す!!
いや〜、ホント、ムカついたんだよね。うんぬんカンヌン
そして、この質問を自分に投げかけてみてください。
Q1.なんで、ムカついたんだろう?
あの人が遅刻してきたからよ。私はちゃんと5分前に着いた。約束の時間にはいるようにした。なのに、あの人は10分も遅れてきた。そんで「ごめ〜ん」って言いながら走ってきて。「いいよ〜、全然待ってないから」なんて気を使って言ったけど、内心「いや、15分合計待ってたんだけど。」だわさ。まったく。
・・・
あらまし吐き出してから、さらに質問です。
Q2.なんで、「時間通り」に着かなきゃいけないの?
当たり前っしょ!!それが「礼儀」ってもんよ。
Q3.その「当たり前」って、みんな同じかな?
それに、「遅刻」の概念ができたのって、実は歴史的に見ても結構最近のこと。昔だったら時計がなかったから、太陽の位置で時間を感覚で捉えていたみたい。だから、めっちゃ待つことなんて、ざらにあったみたい。この概念になってから「時間に焦る」ということが起こり、事故が起きたりしている。そう思うと、自分の身近にも、ある意味、事故の「予備軍」となる出来事がごまんとあることになる。
Q4.「10分」の大きさって、自分と相手とでは同じ感覚?
自分は「長時間」という認識でも、相手は「まだセーフ」という感覚かもしれない。
Q5.「遅刻」って、何分のズレから「遅刻」になる?
5分間に来ていなかったら「遅刻」という人もいるし、
ぴったりの時刻に来ていなかったら「遅刻」という人もいる。どっちが「遅刻」?
などなど・・・。
自分の持っている時計では10時だけど、相手の時計は10時5分、駅の時計は10時3分・・・なんてこともありますよね?
そして、「遅刻」の認識もひとそれぞれ違う。
これだけ違うことがあるのだから、そこまで「ぴったり」を目指す必要ってないんじゃないかな?と思います。
そもそも「ぴったり」を目指す方が難しいし、不可能な気がします。
私たちは、思いの外「時間」ってやつに縛られているし、自分自身でも自分を縛っている。そして相手も縛る。
縛りあいっこしてる。
もっと、ゆるくていいと思う。
「あの人、ちょっと遅れてルネ〜」以上!
それくらいで、いいんじゃないかな。その方が、気楽だ。
待っている間に人間観察もできるし、facebook見てみたり、近くの本屋さんを見てみたり。
どうやったら楽にできるか?
どうやったら楽しくなるか?
そっちを考えている方が、断然、気楽だわ!!!
そんなことを考えていたら、きっと自分が変われていると思います^^♪
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