窪美澄さんの『アニバーサリー』を読みました。
なんでも、西加奈子さんファンは窪美澄さんの小説もハマるとか、ハマらないとか。
なんでも、西加奈子さんの好きな作家さんの一人が窪美澄さんだとか、かんとか。
とりあえず、忘れました。笑
そんな感じで、西加奈子さんと何らかの関係のある作家さんとのこと。
「私も読んでみたい〜♪」というきっかけで、
窪美澄さんの『アニバーサリー』を読んでみることにしました。
時代に”翻弄された”女性たちのお話です。
戦前から現代を生き抜いている「晶子」
モノがありふれ始めた時代から現代を生きている「真希」
モノがあって当たり前の時代を生き抜いている、真希の娘「真菜」
主にこの3人、
特に「晶子」と「真菜」が重点的に描かれていました。
それぞれの時代特有の考え方や視点。そして、その時代を生きてきたからこそ感じる幸福感や空虚感。一つのお話に3人が絡まっているからこそ、鮮明に感じるものがありました。
時代は繋がっている。
繋がっているけれど、それぞれ違う。
「晶子」は、モノのある時代を経て戦争を経験。「ない」時代を思い知ったからこそ、戦後の「ある」世界がとてもありがたく、幸せに、やればやるだけなんらかの「カタチ」になる。
そのあとの時代を生きてきた「真希」。
「ある」ことが当たり前になりつつある、「ある」増殖中の時代。
そしてモノで溢れる時代に生まれた「真菜」。
あるあるある。ありまくる。でも、ないものがあるのが、わかる。
そんな「真菜」が物語の最後の方で考えたこと。
「見たくないものを人は無視する。見たいものだけで、人は世界を作る。世界がひび割れたとき、見たくないものがそこからあふれ出ることがわかっていても。
そしていつも、決して手に入らないものに向かって、手を伸ばしてしまう自分に真菜は苦笑する。何度でも同じことを繰り返す愚かさにも。」
愚かじゃないよ。それは、「愚か」でもなんでもないよ。
なぜなら、それが人間なのかもしれないから。
そして、これが、この3世代で、時代を経ても、繋がっていることなのかもしれない。
「こんな辛い思いを、子どもにもさせたくない」
なんだか、この言葉が象徴している気がした。
生きていくこと、それ自体がとても素敵な経験。
幸せなことも、悲しいことも、辛いことも、全部。嬉しい、ムカつく、涙する。
人間に喜怒哀楽があるみたいに。
喜怒哀楽に「良い悪い」って、ない。それと同じように、すべての経験が素敵だと思う。
いろんな経験をするから、その経験を味わい尽くすために、人間には「感情表現」ってものがあるのかもれない。
どれがダメで、どれがスンバラシイも、ないと思う。
ダメってなったら、気分は負のスパイラル。
でも、スンバラシイってなったら、気分最高のスパイラル。
私は、気分最高のスパイラルにハマりたいって、思う。
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